鏡と前世と夜桜の恋


「どうしてあの小娘を逃がしたんだい?」

おすずの問いかける口調は穏やかだが、その瞳には感情がない。あるのは執着と、歪んだ好奇心だけ。

蓮稀は顔を上げず、低く答えた。

「… 逃げる価値があるからだ」

その瞬間おすずの口元が歪んだ。

「価値、ねえ…」

立ち上がったおすずは扇子を開く。

「いいかい?価値を決めるのは、あたしなんだよ」


声が、冷え切る。

「あんたも咲夜さんも小娘共も全員私の掌の上」

一歩、距離を詰め、蓮稀の顎を扇子の先で持ち上げた。

「それなのに… 勝手に連れ出そうなんて、可愛げのないことするねぇ」

おすずは扇子の骨が歯を立てるほど力を込める。


蓮稀は顔を歪めながらも、絶対に目を逸らさなかった。

「…奪うことしか知らぬ女に守る気持ちは分からない」

蓮稀の言葉に一瞬、空気が凍った。

次の瞬間——

ぱん、と乾いた音。
扇子が頬を打ち視界が揺れる。

「黙りな!!」

おすずの声は低く、鋭い… もはや取り繕う気配はなかった。


「愛だの守るだのそんな綺麗事、私は1番大嫌いなんだよ!!」

唇が歪み、笑みになる。

「欲しいものは縛って、逃げないようにして壊れるまで手元に置く」

おすずの笑顔はもう人ではなかった。

「それが“ 情 ”ってもんさ」

背筋に冷たいものが走ると同時に蓮稀は確信する。

(… 普通じゃない)


おすずは背を向け男達に命じた。

「縛ってここから出ていきな、蓮稀様を見せしめにするよ」

去り際、振り返り、囁く。

「咲夜さんがどんな顔をするか… 楽しみだねえ」

闇の中、引きずられながら蓮稀は歯を食いしばった。

(… 頼む雪美、間に合ってくれ)

それだけを願いながら。