紅色に染まる頃

「どうぞ。今、照明を点けるから」
「いえ、このままで充分ですわ」

全面ガラス張りの為、降り注ぐ月明かりが幻想的な雰囲気を醸し出している。

伊織は、壁の半分を覆っていたブラインドを全て上げた。

「わあ……、なんて綺麗なのかしら」

美紅は射し込んだ月の光に感嘆の声を上げる。

目を輝かせて月を仰いでいる美紅に、伊織はクスッと笑ってからグランドピアノの蓋を開けた。

「お嬢様。1曲お聴かせくださいませんか?」
「え?わたくしがですか?」
「はい。せっかく良いピアノなのに、調律する時くらいしか弾いてもらえないのです。どうかこの可哀想なピアノを奏でてやってください」

伊織の口調に、今度は美紅がクスッと笑ってピアノに近づく。

スッと艷やかなピアノの縁を撫でてから、ゆっくりと椅子に座って目を閉じた。

やがてそっと両手を鍵盤に載せて、美しい音色を響かせる。

ドビュッシーの『月の光』

森の中、月明かりに照らされた美紅が奏でるその曲は、伊織の心に染み渡っていく。

静かに厳かに、そして清らかに優しく……。

仕事に行き詰まり、頭を悩ませていた自分の心が、いつの間にかスッと軽くなるのを伊織は感じていた。

労るように癒やすように、美紅の奏でる音色は伊織を苦痛から開放してくれる。

心が震え、涙が溢れそうになった伊織は、慌てて目尻を指で拭った。