鮎川が俺のすぐ横に座り直し、か細い腕でぎゅっと抱きしめてくれた。

ずっと誰にも言えず、どこにも行き場のない感情をただひたすら押し殺して来た。
そんな俺を、暗黒の泥沼から鮎川が救い出してくれた。

「辛かったね。苦しかったね。家族にも会いたくなくなるような傷を負ってたんだね」

背中に回された手が、トントンと優しいリズムを刻む。

「俺の兄貴、判事なんだよ」
「……ん」
「兄貴のこと凄い尊敬してたから、俺も判事になろうと思ってたけど。さすがに顔見るのも辛くなって」
「……それで、弁護士になったの?」
「ん。弁護士事務所に勤務してたら、法廷で会う機会が増えそうで。チキンだよな、俺」
「そんなことないよ。弁護士や判事じゃなくて、普通の会社員になる道だってあったのに、それでも弁護士として頑張ってるじゃない」

鮎川の言葉に、涙腺が緩みだした。
ずっと『兄』の存在から逃げて、心の底から祝福できないでいたから。

俺と彼女が付き合っていることも知らなかったわけだし。
兄貴が俺に何かしたわけでもない。
あの女が、自分の幸せのために俺と兄貴を巻き込んだんだ。

『恋人に傷付けられた』という共通点が、俺らを引き合わせたのか。
これは偶然なのか、必然なのか。

初めて押し殺していた感情を解き放つことができて、心が震えるほどの昂りを覚える。
もう押し殺さなくていいんだ。
俺一人抱え込まなくても済むんだという、爽快感さえある。

「俺ら、似てんな」
「……そうだね」

深い傷を抱えた者同士、一歩踏み出すことの怖さを知っている。
だからこそ、その恐怖に打ち勝った存在が、心地いいと感じるんだ。