「遅くなって、ごめんな」

申し訳なさそうに眉根を寄せる楢崎。

「電話くれたらよかったのに」
「……大したことでもないし」
「これでも?」
「っ…」

再び私の手首を掴んで目線の先に持ち上げた。

「ったく、我慢しすぎなんだよっ」
「ッ?!!」

軽い衝撃と共に視界が塞がれた。
いつの間にか、楢崎の長い腕の中に。

「せっ、先輩、……私、先に戻ってますね!」
「ぁっ……」

和田さんが驚きながら駆けて行くのが分かる。
更に周りにいた人たちもいたたまれなくなったようで、そくそくと持ち場へと戻ってゆく。

「……ちょっと、楢崎。スーツにファンデ付くよっ」
「お前は呆れるほど大馬鹿だな」
「は?」
「今のこの状況で、スーツの心配かよ」

僅かに解かれた腕の隙間から彼の顔を仰ぎ見る。
整った美顔は、下から見上げても眼福のようだ。

「言われ放題で悔しくないのか?」
「……言いたい人には言わせておくのが回避策の鉄則でしょ」
「フッ、冷めてんな」
「……そう?」
「俺に文句のメールくらい送って寄こせばよかったのに」
「…海外にいるって聞いたから、時差で迷惑かかると思って」
「ホント、馬鹿だよ、我慢しすぎっ。こういう時の彼氏だろうが」
「……っ」

『彼氏』だなんて、形ばかりだと思っていた。
体裁のいい、口説きの防御と言うべきか。
しつこい人たちに対して、牽制する意味合いで使うものだと。

「何も求めんなとか言っといてあれなんだけど、俺には我慢しなくていいから。言いたいことは言っていいし、辛い時は頼って。必要な時に手を貸す約束だろ」
「……ん」

抱きしめたことも、いじめ行為の対処も、他の社員への周知的意味合いでも。
彼は『彼氏』としての約束を果たしてくれたようだ。