最近トキメキが、ない。

 健全な女子高生がこんなんでいいのだろうか。

「ああ、枯れてる」

 机に突っ伏して思わず呟いた。

「弥生? 何が枯れてるの?」
「心が」
「変な子だね」

 前の席の友人、樋口紗里奈が笑ってる。

「だって、高2だよ? 修学旅行だってある年だよ? なのに、ラブがないなんて」
「私も恋人いないけど?」
「でも、紗里奈は恋してるじゃん」
「恋してなきゃ充実してないの?」

 紗里奈の言葉に私は少し黙る。

「そんなことはない、けど」

 普通に学校行事も楽しんでる。部活の吹奏楽も忙しすぎるくらいだ。

「じゃあ、いいんじゃ? 好きな人なんて突然できるものだし、探してできるものじゃないよ」
「はあ〜。まあ、そうかあ」

 私は納得したようなしないような気持ちで頷いて、再び机に突っ伏した。


***


 吹奏楽部で私はクラリネットを吹いている。可愛い後輩もできて、自分のパート練習と後輩への指導に忙しい。

「弥生先輩、ここうまく出せません〜」

 後輩の中でも特に私に懐いてくれている渡部愛佳に訊かれ、

「どれどれ、ここはね〜」

 と丁寧に教える。指は開いて、口は横に開くように、呼気は入れすぎないように。

「なるほど、さすが弥生先輩です。私、頑張ります!」

 愛佳は素直で真面目で愛嬌もあり、ついつい可愛いのでかまってしまう。部活後も一緒にスタバによって色々なことを話すことも多かった。私には妹はいないけれど、いたらこんな感じなのかなと思っていた。


***


「平野?」

 声をかけられ、私は声の主を見た。新田君。オーボエを吹いている男子だ。彼の音はもの悲しくそれでいてよく響く。本当にいい音なのだ。

「まだ帰らないのか?」
「うん。なんか今度のソロ、何度吹いても何かが違って」

 新田君は私の方に近づいてきて、

「ちょっと吹いてみろよ」

 と言った。私は実力のある新田君の前で吹くのは緊張したけれど、ソロパートの部分を吹いた。

「うん。技術は問題ないんだよな。音の粒も揃っていて、しっかり弾けてる。でも、なんだろう。心に響かないというか……」
「心に響かない……」

 私はショックを受けたけれどそれ以上に上手くなりたいと思った。

「もっと感情を込めて、場面を思い浮かべて、歌うように吹くんだ」

 新田君に言われるままにメロディーを歌う。あ、なんか音色が変わってきたかも。

「そうそう、さらに伸びやかに! ここからはささやくように。そして段々盛り上げて!」

 凄い! 自分の音色じゃないみたい!

「なんだ。いい演奏できるじゃん。今みたいな感じで吹きなよ。ソロは目立っていいんだから」

 新田君は自分のことみたいに嬉しそうに笑った。普段冷静な新田君の全開の笑顔。
 
 とくん。

「一人だったらできなかったよ。ありがとう! 新田君て凄いね。今の感じ忘れないように頑張る」
「ん。じゃあ、俺は帰る。平野もあんまり無理すんなよ」

 私は呆けたように新田君の後ろ姿を見送った。自分にあんな演奏ができたという感動。そして、身近なところにいた眼鏡の似合う地味な男子がなんだかかっこよく見えたのが驚きだった。
 なんだ、私。ちゃんとトキメいてるじゃん。ノーマークだったな、新田君。


***


「弥生先輩のソロパートのところ、凄く良くなっていてびっくりしました! めちゃくちゃいい音でした!」

 いつものスタバで愛佳が興奮気味に言った。私は嬉しさと恥ずかしさに顔が熱を持つのを感じた。

「そ、そう? 嬉しいな。新田君がね、アドバイスしてくれたんだ。そしたらなんとなくコツが分かって」
「新田先輩、ですか?」

 愛佳の声色が少し変わった気がして、私は視線を愛佳に向ける。愛佳はどこか複雑そうな光を宿した目でコーヒーのタンブラーを見ていた。

「うん。新田君だけど……。
愛佳?」
「あのっ!」

 突然愛佳が私の腕を掴んで、声を上げた。

「う、うん? どうしたの?」
「弥生先輩は好きな人、いますか?」
「え?」

 私は驚いてむせて咳き込んだ。
 好きな人。
 新田君のあの笑顔が一瞬よぎったけど、まだ好きまでは行ってないかな。でも、これから好きになる可能性はあるかも?

 とっさに答えられずに考えを巡らしていると。

「私、新田先輩が好きなんです」

 愛佳が顔を真っ赤にして言った。

 ああ。そういうことか。
 そっか。
 私、答えなくて良かった。

「……そうなんだね」
「や、弥生先輩は新田先輩と仲が良いのですか? 弥生先輩も新田先輩のこと好きなんですか?」

 愛佳の思い詰めた目が私を見つめてくる。私は。

「新田君にはたまたま教えてもらっただけで、仲が良いわけじゃないよ。それに、私、今好きな人いないんだよね」

 自分の口が勝手にそう言うのを聞いた。

「良かったあ! 私、弥生先輩のこと大好きだし、尊敬してるから、弥生先輩が新田先輩好きだったら絶対勝てないなって思っちゃいました。すみません、勝手に変なこと考えて」
 
 安堵したからなのか、少し目を潤ませて愛佳が言った。私は一度目を閉じて、

「私は新田君のことそんな風に見てないし、もしそうでも愛佳の方が可愛いから大丈夫だよ。もう。愛佳は考えすぎ」

 と笑ってみせた。うまく笑えているだろうか。

「すみません! だって新田先輩かっこいいから、誰が好きになってもおかしくない気がして……」

 正直、新田君が万人受けするようには思えないけれど、愛佳の目にはそう映っているのか。

「……本当に新田君が好きなんだね」
「はい!」

 幸せそうに笑う愛佳を見て、私は愛佳を可愛いと改めて思った。そして、私のとった対応は間違ってなかったと。

「愛佳ならきっとうまくいくよ。応援するから頑張って!」

 私はそう言って愛佳の背中を軽く叩いた。


***


 湯船の中で私は愛佳との会話を思い出していた。
 両手でお湯をすくってはこぼすことを繰り返していた手が止まる。

「新田君、かあ……」

 なんで新田君だったのかなあ。
 愛佳は私が新田君を好きだと答えていたらどうしただろう。私に遠慮して諦めただろうか。

「それは、なさそうだなあ」

 愛佳は心から新田君が好きなようだった。私の新田君への想いはまだあんなに強くない。
 それに。私は愛佳が好きだ。愛佳を悲しませたくないし、これからも良い先輩でいたいと思っている。
 私は新田君より愛佳を選んだのだ。
 後悔はない。
 それでも。

 湯船にぽとりと一粒の涙が落ちた。
 
 久しぶりのトキメキだったんだけどな。

 私は自分の気持ちを消すようにお湯をかき混ぜた。



             了