神様がどうして人嫌いなのか。

 それは神様の生まれ方に起因する。



 こうあって欲しいと、熱心に願った人々の祈りの力から生み出された神様は、それだけが存在意義だ。

 人々が祈らなくなれば、神様は神様として具象化できなくなる。

 顕現するかしないかの権利を、自分以外のものが握っている現状。

 輝くのも消えるのも、人次第の虚ろな存在。

 それが神様だった。

 

 二十代だったターラが、聖女として初めて神様と顔を合わせたとき、ずいぶん投げやりな態度をされた。

 聖女は神様が接触することを許した、たった一人の人だ。

 そんなターラに冷たく接したのは、人嫌いな神様の、せめてものうっぷん晴らしだったのだろう。

 ターラは、八つ当たりをしたくなる神様の気持ちを、悲しく思った。

 どうか神様が心安らかにいられますように、ターラはそれから神様の安寧を祈るようになった。

 

 そっけなさを見せる神様が、ことのほか興味を示したのは、ターラが母親の話をしたときだった。



「母親とは、どんなものだ?」

「温かくて明るい、私たち家族の光でした」

「ターラは母親から生まれたのだろう?」

「はい、そうですね」



 そのとき、神様が少しだけ、寂しそうな顔をした。

 神様には母親がいない。

 人々の祈りの力が神様を生んだが、それは神様を消すこともできる諸刃の剣だ。

 決して母親と同じではない。

 

「ターラが聖女となったことを、母親は喜んだか?」

「私の母はもう亡くなっています。この世にはいないのです」

 

 ターラの母親が死んでいることを知ると、神様の興味は死へと移った。



「死とは、どんなものだ?」

「もう二度と、会えなくなることです」

「ここに来ていた聖女も、いつしか来なくなり、新しい聖女が来る。それと同じか?」

「少し違います。聖女が入れ替わるのは、たしかに寿命が尽きるせいでしょう。ですが基本的に、亡くなった人の代わりはいません」

「ターラが死んでしまったら、次に来る聖女はターラではない、ということだな?」

「そうです。1000年を生きた神様からすると、数十年しかない人の一生は短く儚く、あっという間に感じるでしょう」

「聖女はもう少し長く生きる」

「神様のおかげですね。私も出来るだけ長く、神様にお仕えしたいと思っています」



 ターラがそう言うと、神様は黙り込んでしまった。



「まだ幼かった私が、母を亡くした悲しみを乗り越えることが出来たのは、神様への信仰心があったからです。家族を残して一人で旅立った母が寂しくないようにと、一心に祈りました」

「人は、自分の悲しみを癒すために、祈る者のほうが多い」

「亡くなってしまった母は、もう祈ることが出来ません」

「母親の心を癒すために、ターラが代わりに祈ったということか」

「自分勝手ではありますが、神様に祈ったのだから母は大丈夫という、その思いで私の悲しみは癒えました。もう会えないし、話すこともできないけれど、私はこれからも母が大好きだし、心には母との思い出もあります」

「思い出……」

「母との楽しかった日々は、いつ思い出しても心が温かくなります」



 そういって微笑んだターラを、神様は星空のような蒼い瞳でジッと見つめた。

 まるでそこに、真理を探すかのように。



 ◇◆◇



 二人が旅立った次の日。

 初めて神様のいない朝がきた。



 ターラはいつものように神の森を見回りながら、空虚さに心が引きつれるのを感じた。

 これまでは、早朝にターラが森の中を歩いていれば、どこからともなく神様が合流してきて、並んで歩いては他愛ないおしゃべりをしたものだ。

 だがそれも、昨日までの話。

 ターラを呼び止める神様は、今日からこの森にいない。

 

 神殿に仕えるきっかけとなった出来事を、ターラは顧みる。

 あの時もターラは、自分から離れていく二人の背中を見送った。



 ◇◆◇



「お姉さま、本当にごめんなさい。でも私たち、愛し合っているの」



 うっすらと涙を浮かべた妹メリナの桃色の瞳は、母親譲りだった。

 メリナの持つ愛らしい顔や小柄で豊満な体つきも、父親に似たターラとはまるで違う。

 そんなメリナが腕を絡ませている相手は、よりにもよってターラの婚約者だ。

 オーディー伯爵家の嫡男アロンは、緩やかな金髪をかきあげると、もっと驚くべきことをターラに告げた。

 

「メリナの腹には、すでに俺の子が宿っている」



 婚前交渉は女性側の恥となる。

 だからターラは、いくらアロンに誘われても、結婚するまではと拒んできた。

 ターラに断られた腹いせに、アロンがメリナに手を伸ばしたのか、それとも姉のものを欲しがるメリナが、アロンに言い寄ったのか。

 どちらにしろ、その結果がターラとアロンの婚約解消になった。

 

「お父さまにお願いして、オーディー伯爵家とドルジェ子爵家の婚約を、相手を変えて結び直してもらったの」



 さきほどまでメリナが浮かべていた涙は、すでにどこかへ消えていた。

 まだ膨らんでもいない腹に手をあて、メリナは自分の権利を主張するようにアロンに身を寄せる。

 

「これで正式に、俺の婚約者はメリナだ。お前ではない」



 そう言い捨てると、ターラの婚約者だったアロンは、メリナの肩を抱いて立ち去った。



 元々、商売上手なドルジェ子爵家の豊富な資産を狙って、オーディー伯爵家から申し込まれた政略的な婚約だった。

 そこに愛はなかったことが、ターラにとっては幸いだった。

 それに、心のどこかで「やっぱり」という思いがあった。



 実は、メリナがターラのものを欲しがるのは、今に始まったことではない。

 ターラが大切にしている裁縫道具も、母の形見のネックレスも、父からの愛情も。

 同じものをメリナももらっているのに、ターラのものをわざわざ欲しがるのだ。

 メリナのそれはもう、病気と言ってもおかしくないほどだった。

 

 当初、ターラとアロンの婚約が決まったときに、父がメリナの婚約者も同時に見つけようとした。

 しかし、メリナ本人がこれを嫌がった。

 今なら分かるが、メリナは自分の婚約者ではなくターラの婚約者が欲しかったのだ。

 ターラには、そんなメリナの気持ちが全く分からない。

 

(婚約者はものではないのだけれど、メリナにとっては私から奪えるという点で、同じだったのでしょうね)

 

 本当に大切なものは、ターラの心の中にあって、誰もそれを奪うことはできない。

 それは、母との思い出だったり、神様への信仰心だったり、目には見えないものだ。

 メリナも、そういうものと早く出会えればいいと、ターラは思うのだった。



 ◇◆◇



「すまん、ターラ。オーディー伯爵家から婚約相手をメリナに替えろと言われて、格下の子爵家としては逆らえなかった。しかも、メリナはアロンさまの子を宿しているというじゃないか。一体、何がどうなっているのか……」

「いいのです、お父さま。その代わり、今後はどなたとも婚約を結ばず、神殿に仕えることをお許しください」

「……このままメリナのいる社交界に出て、肩身の狭い思いをするよりは、神様に近い神殿で過ごす方が、信仰心のあついターラにとっては幸せかもしれんな」



 ドルジェ子爵家には後継者となる10歳の弟ビクラムがいるため、家を出たいというターラの願いは、案外あっさりと叶えてもらえた。

 

「ビクラムが寂しがるだろう。あの子は、お前によく懐いているから」

 

 母は、ビクラムを出産したときに、命を落とした。

 母親の愛を知らずに育つビクラムが不憫で、ターラは何くれと弟の世話を焼いてきた。

 そのせいか、10歳になった今でも、ビクラムはターラのあとをついて回る。

 ターラも、そんなビクラムを可愛いと思っていた。



「ビクラムには、私から説明します。神様にお仕えするのだと言えば、きっと分かってくれます」



 そうして妹メリナに婚約者アロンを奪われたターラは、22歳で神殿へ仕えることになったのだ。