その充先輩は海沿いの崖上に建てられた一軒家に、一人で住んでいた。
元々は別荘だったらしいが、ここを気に入っている先輩がそのままほぼほぼ定住してしまっているらしい。
市街地から閑静な山の中に入り、一本道を進んでいくと、急に視界が開け、何もない広い原っぱに出た。
そのすぐ向こうに、ぽつんと白い小さなお家と、崖の先端に灯台が見える。
この山道を抜けて原っぱになったあたりから、先輩んちの敷地になってるんだって。
車から降り玄関をくぐった私たちは、車いすに乗った男性に迎えられた。

「あぁ、卓己。久しぶり! ちづちゃんも!」
「きゃぁ~! 充先輩、お久しぶりですぅ~!」

 千鶴は車いすの充さんに飛びついた。

「く、車いすに、乗ってるんだ」

 私がそうささやくと、卓己は耳元でそっとつぶやいた。

「うん。最近、交通事故にあわれてね。それ以来、足が不自由なんだ」

 卓己は先輩の前に進み出ると、彼と握手を交わす。

「すっかり人気者になっちゃったな、卓己は」
「そんなことないですよ」

 彼は卓己の後ろに立っていた私を見上げる。

「はは。君が卓己の『紗和ちゃん』か。なるほどすぐ分かるね」
「でっしょう?」

 充先輩に呼応するように千鶴がそう言うと、二人は笑った。
だから卓己は私のことを、どんなふうに説明してるんだろう。
その卓己は、顔を赤くして黙っている。

「は、初めまして、三上紗和子です」

 手を差し出したら、彼はそっと私の手をとった。

「やぁ。あなたに会えるのを、楽しみにしていましたよ」

 さらさらとした黒髪に緑の目をした車椅子の充さんは、オリエンタルなリゾート建築の別荘に住んでいた。
家の作りは敷地同様パンパなくダイナミックだった。
車椅子で移動するにも十分な広さが確保されているのはもちろん、リビングの一部は絵を描くためのアトリエのような場所になっている。
ソファとテーブルの置かれたリビングから続く白いウッドデッキのテラスは、そのまま外に出られるような作りになっていて、庭には背の低いシュロの木が細かな葉を海風に揺らしていた。

 三人は同じ大学同じ学部の出身同士でもあり、昔話しで盛り上がっていた。
私は彼らの話にはついていけないので、耳を傾けながらも大きなテラスから外に目を向ける。
庭先から続く小道の向こうに、小さな白い灯台が見えた。

「素敵な風景ですね」

 私がそう言うと、充さんが車椅子に乗ったまま近づいてくる。

「僕の父がね、この土地を気に入って購入したんだ。いいところでしょ」

 彼は電動車いすを私の隣に並べると、雲を見上げるようにその白い灯台を遠く見つめた。

「あれはとても古い灯台でね、灯台としての役割は、とっくの昔に終わっているんだ。僕が子供の頃は、とてもいい遊び場だったんだよ」
「中に入れるんですか?」
「昔はね。だけど今は、誰も入れない」

 彼は静かに首を横に振ると、また昔話の輪へ戻っていく。

「紗和ちゃん。ちづがお茶をいれてくれたよ。こっちに来て、一緒に飲もうよ。それでさ、充先輩。三上恭平作品のことなんですけど」

 ようやく卓己が本題を切り出した。
私がここへやって来た目的は、それ以外に何もない。

「あぁ、そうだったね」
「どこにあるんですか? 私も見たいです」

 千鶴も身を乗り出す。
充さんは、笑って窓の外を指差した。

「絵はね、あの灯台のなかにあるんだ」

 その場にいた全員が、窓の外を振り返った。
白い灯台はここから続く、小道の向こうに建っている。

「え、ちょっと待ってください。さっきあの灯台の中には、もう入れないって言ってませんでした?」
「あはは。そうなんだよ、だから困ってるんだ」

 え? どういうこと?

「実は僕が独り立ちして、ここに住もうって決めたのは、つい最近になってからなんだ。それまでは普通に街中で暮らしていてね。だけどここに移ろうって決めて、それで灯台のことを思い出したんだ」

 卓己はティーカップをソーサーに置いた。

「たしか学生時代にも、先輩はそんなことを言ってましたよね。三上恭平の絵を一枚持ってるけど、見られないって」

「だから、君たちを呼んだんだ。開かずの灯台になってしまったあの建物の、三階部分に三上氏の絵が飾ってある。そこまでたどり着くことができたら、その絵をプレゼントするよ」

 緑の目の充先輩がにやりと笑った。
そ、そういうことか。
私はガックリとソファに沈み込む。
そうだよね。
そんな簡単に、おじちゃんの絵がもらえるとか、自分の考えが甘かった。