「あら、雄二くんもう帰っちゃったの? 上がっていってもらえばよかったのに」

 奥から顔を出したお母さんがそんなことを言ってきたけど、私は力なく首を横にふる。

「ダメだよ引き留めちゃ。新藤くん、明日お引っ越しなんだって」
「そうなの? ああ、お父さんのお仕事関係ね。けど、それじゃあ尚更、帰しちゃってよかったの?」

 この口ぶり。きっとお母さんは、私の気持ちを知っている。
 だけど今さら、どうしようもないじゃない。

 これで良い、これで良いんだ。これが、私の選んだ答えなんだから。

「まあアンタがそれで良いのなら、何も言わないけどさ。ちゃんと自分で決めたのなら、後悔もしないだろうしね」

 後悔?

 もう何度目になるか分からない、胸の奥のズキリとした痛み。
 そうだ。ちゃんと自分で決めたのなら、後悔はしないはず。だけど私は今日まで、あの日「好きじゃない」と言った事を、ずっと後悔し続けている。

 それはきっと、ちゃんと選んで決めたことじゃないから。周りに流されて、答えただけ。
 それじゃあ今のこの気持ちは、ちゃんと選んだもの? ううん、違う。
 私はまた、流されただけ。傷つかないように楽な道に逃げて、選ぶことを放棄してしまっているんだ。

 きっとこのままだと、私はまた後悔する。……そんなの、嫌だ。

 ギリッと奥歯を噛み締めて、気がつけば靴に足を突っ込んでいた。

「ごめんお母さん、ちょっと出掛けてくる!」
「え? 待ちなさい、せめてコートくらい羽織って……」

 お母さんはそう言ったけど、走り出した勢いは止まらない。

 玄関から外に出ると、冷たい外気が容赦なく襲ってくる。
 寒い。空からはふわふわと雪が舞い降りていて、地面に積もっている。だけどそれでも、降り積もった雪を溶かすように、私は走り出した。


 暗くて冷たい町の中、新藤くんを追いかけて、ただひたすら走る。途中、雪に足をとられて転んだけど、すぐに起き上がって、また走る走った
 そうして、無我夢中で駆け抜けて。
 人気の無い田舎道を進んだ先に、雪の中を歩く新藤くんの、後ろ姿をとらえた。

 待って……待って新藤くん!

 寒さと息切れで、声が出ない。だけど私は追いかけて、彼の腕を掴んで。
 新藤くんは振り返り、驚きの声を上げた。

「え、サヨ……安藤さん、なんで!?」

 一瞬出かかった、『小夜子』という名前。そして私の格好を見て、彼は目を丸くする。

「おい、なんて格好で外出てるんだ、風邪引くぞ!」

 驚くのも無理はない。何せ部屋着のまま、この雪の中を走ってきたのだから。
 慌てて着ていたコートを脱いで、私にかぶせてくる新藤君。
 さっきまでのよそよそしい態度とは違って、記憶の中にあるのと同じ、熱のこもった彼の素の表情だ。

 私ももう、取り繕ったりはしない。寒いのも忘れて、真っ直ぐに彼の目を見つめて、息を吸い込んだ。

「聞いて──雄二くん!」

 雪に吸い込まれない強い声で、ハッキリと彼を呼ぶ。『新藤くん』ではなく、『雄二くん』って。


 今さらこんなことを言っても、遅いかもしれない。
 彼はもう、この町から出て行くのに。もしかしたらもう、二度と会えないかもしれないのに。
 だけどそうだとしても、きっと今度は後悔はしない。
 だからお願い、あの時言えなかった事を言わせて。

「ごめん、今までずっと、嘘をついてた。私、本当は――」

 ――雄二くんのことが好きです。

 あの日言うことのできなかった素直な気持ちを、今度はハッキリと口にした。