窓の外には、しとしと雪が降ってる。
 ぶ厚い雲が町を包む、エアコンをつけないと凍えてしまうような、寒い冬の日の夕方。自分の部屋で一人くつろいでいた私を、お母さんが呼びに来た。

「小夜子、お客さんよ」
「んー、誰? 今日は誰とも、遊ぶ約束なんてしてないけど」
「いいからいいから。玄関で待たせてあるから、早く行っちゃいなさい」

 どことなく、含み笑いを浮かべていたお母さん。いったいどうしたのだろう?

 だけど言われた通り部屋を出て、玄関まで行った時、私の心臓は思わず跳ね上がった。
 だってそこにいたのは、雄二くんだったから。

 ええっ、何で!? どうしてうちに来てるの!?
 焦げ茶色のコートを羽織って、首に紺色のマフラーを巻いて、ナップザックを肩からかけている雄二くん。所々に、白い雪の跡が見られる。
 記憶の中の彼よりもずっと背が伸びていて、顔つきも男の子から、男の人に近くなっている。

 どうして訪ねてきたのかは分からない。だけど昔の想いが蘇ってきて、体が熱をおびてくる。
 だけど、緊張と驚きで何も言えずに固まってしまっていると、彼はゆっくりと口を開いた。

「……突然来てごめん。久しぶりだね……安藤さん」
「えっ?」

 『安藤さん』。それはたしかに私の名前。
 だけど雄二くんから苗字で呼ばれるなんて、今までに一度もなかったのに。

 呼び方だけじゃない。表情や仕草が、どこかよそよそしくて。そんな他人行儀な態度に、さっきまで熱くなっていた頬や頭が、スッと冷めた気がした。
 私の知っている雄二くんと、目の前にいる雄二くんが結び付かない。彼はソコにいるのに、まるで間に見えないガラスでもあるような壁を感じる。

 戸惑っていると、雄二くんは心配そうな目をしてくる。

「安藤さん。安藤さん大丈夫?」
「あ、ごめん。へ、平気だよ、……新藤くん」

 慌てて口にしたのは、『雄二くん』じゃなくて『新藤くん』。
 そして言ってしまって気づいた。これが今の、私達の距離感なんだ。

 昔は『雄二くん』、『小夜子』って呼びあっていたのに、今はそんな馴れ馴れしい態度はとれない。
 だけど私は溢れ出す寂しさを隠して、表面上は平静を装った。

「ところで、どうしたの急に。あ、ここじゃあなんだから、まずは上がる?」
「いや、いいよ。これを持ってきただけだから」

 そう言って手にしていたナップザックの中から、何かを取り出してくる。これは、漫画?

「ごめん、ずっと借りっぱなしになっていたから」

 思い出した。
 それは私達が小学生の頃、貸していた漫画。あの頃の私達は、こんな風に気軽に漫画やゲームを貸し借りしていたけど、あんな事があって、ギクシャクして距離ができてしまって。貸したこと自体を、すっかり忘れてしまっていた。

「わざわざ、これを届けに?」
「ああ、引っ越しの片付けをしていたら見つけて。今日返さないと、もう機会が無いからね」
「えっ?」

 引っ越し。それに、機会がないって。

「俺、明日引っ越すんだ。父さんの会社が潰れちゃって、それで色々あって。たぶんもうこの町には、帰ってこないと思う」
「──っ!」

 予期していなかった言葉。
 新藤くんがいなくなる。途端に胸の奥が苦しくなって、ギュっと手で押さえる。

 詳しく話を聞いてみると、新藤くんが引っ越すのは、他県にある名前も聞いたことの無い遠い町。
 もしかしたらもう、二度と会うことができないかもしれないくらい、遠い所だ。

「そう、なんだ。寂しくなるね」
「ああ、俺も寂しいよ」

 疎遠になっていたっていうのに、寂しいも何もない。だけどお互にその事には触れずに、上部だけの言葉を並べていく。
 本当は、こんなことを言いたいわけじゃないのに。

「学校の友達には、ちゃんとサヨナラは言ったの? それに、か、彼女にも」

 ドキドキしながら声を絞り出すと。新藤くんは頭をかきながら、気まずそうな顔で返事をしてくる。

「俺、彼女なんていないから」
「そうなの? なんか意外。モテそうなのに」

 そういえば中学の頃も、浮いた話の一つも聞かなかったっけ。話してはいなくても、噂くらいは耳に入ってきても良さそうだったのに。だけど彼女がいないという答えに、ホッとしている自分がいる。
 へんなの。今さら甘い展開なんて、期待していないっていうのに。だけど。

「昔はいたんだけどね、好きな人」
「え、そうなの?」
「そりゃあ、初恋くらいしてるよ。だけど、とっくにふられてる。もう、だいぶ前の話だけど」

 それって……。
 思い出されるのは、小学生の頃の給食の時間の、あの出来事。
 あの時私は、新藤くんのことをふっている。それが本心でなかったにせよ、間違いなく。

「もしかしたら今でも、初恋の事を引きずってるのかも。はは、女々しいよな」
「そんなことないよ。私だって引きずってるもの、初恋……」

 中学の時、廊下ですれ違う度に、高校に入ってから、町で見かける度に。あんな嘘をつかなければよかったって、何度も後悔しているもの。
 だけどもう、全部が遅すぎる。いくら悔やんだって、あの頃には戻れないんだ。

 もしもう一度話すことができたら、昔みたいに笑いあえるって思っていたけど、なんて思い違いをしていたのだろう。
 目をそらして、言葉を交わすのを避けて。そうしている間に開いてしまった距離は、私が思っていたよりもずっと大きかったのだ。

「じゃあ、俺もう行くわ。まだやらなきゃいけない事あるし」
「ああ、うん。引き留めちゃってごめんね。向こうに行っても、元気でね」
「安藤さんも。それじゃあ、サヨナラ」

 会わないうちに、すっかり上手くなってしまっていた愛想笑いを浮かべながら、手をふってお別れ。
 玄関の戸は閉ざされて、返してもらった漫画だけが、彼がここに来たと言う証だった。
 望んでいたはずの再会は、期待していた結末を生んではくれなくて、虚無感が残るばかりたった。