女王の仕立て屋

 リンリエッタの待つ部屋に戻ると、カインの頭の瘤(こぶ)に彼女は顔を歪めた。「大丈夫」と言うカインにどうにか冷やそうとリンリエッタは慌てふためいていた。

 「大丈夫」と「冷やさないと」の押し問答は、なかなか終わらない。結局、屋敷に戻ったらすぐに冷やすという約束のもと、リンリエッタが折れることとなった。

 カインがリンリエッタに手に入れた小瓶を見せれば、彼女はその成果に両手を叩いて喜んだ。

「これで、尻尾を掴んだも同然ね」
「はい。後は、今日捕らえた男が口を割るか、ですね。では、そろそろ準備を致しましょう」

 カインは大きな鞄から真っ白なドレスを取り出した。

「リンリエッタ様、また後ろを向いておりますので、ここに足を通して、腰まで上げてください。その後、ここに腕を通したらお呼び頂けますか?」
「別に私は貴方に見られても構わないのよ?」
「婚前の女性の言葉とは思えません」
「あら、もうすぐそれも終わりだもの」

 カインは咎めるような視線を送ると、リンリエッタに背中を見せた。彼女はカインの後ろで肩を竦める。

 リンリエッタは鼻歌混じりにワンピースを頭から脱いだ。それは半分におられて椅子に置かれる。

 彼女はカインの説明通り、真っ白なドレスに足と腕を通した。随分と簡単に着ることの出来るドレスに、リンリエッタは物珍しそうだ。腰回りや裾、背中に至るまで舐める様に見た。

 満足したリンリエッタは、カインの数歩後ろに立つ。

「カイン、出来たわ」
「ありがとうございます」
「貴方の魔法で仕上げて頂戴」

 カインは、リンリエッタの前で床に片膝をつけ、彼女を見上げた。

「最高の魔法をお掛けします」

 リンリエッタの両手を取ると、カインは指先に唇を落とす。彼女は困ったように笑った。

 カインはリンリエッタの背後に回ると、背中の紐を締めていく。しかし、慣れた行為であるというのに、カインはうまく紐を扱うことができず、リンリエッタの背後でもたついていた。

「どうしたの?」

 上半身を捻ってリンリエッタが尋ねる。カインは己の両手を目の前に広げた。小刻みに震える手を彼は呆然と見つめている。

「どうも、緊張しているようです」

 リンリエッタは長い睫毛を何度か瞬かせると、カインの前に向き直った。

「仕方ないわ。戦場に行く戦士達だって、震えるものよ」
「この先は戦場だと?」
「戦地には変わらないでしょう。私はドレスの鎧を着て、笑顔の兜を被って闘うのですもの」
「針と糸で戦えましょうか?」
「それは貴方がずっと磨き続けて来たものでしょう。胸を張りなさい」

 リンリエッタはカインの頬を包み込む。そして、己の額と彼の額を合わせた。カインの瞳が困ったように揺らめく。それでも、彼女はそれを止めようとはしなかった。

「貴方の切れ長の目が好きよ。嵌っている二つのペリドットはお気に入り。私の姿を映している時は胸が高鳴るの」

 リンリエッタはカインの額から離れると、次は未だ震える彼の手を捉えた。

「貴方の大きな手も大好きよ。男らしいのに繊細な指も、全て包んでしまいそうな大きな手のひらも」

 カインは、リンリエッタの手の中の節くれ立った指をぎこちなく動かした。彼女が肩を揺らして笑う。

「貴女のように、もっと気持ちを伝えたい」
「カインは手は器用だけれど、口は不器用ですものね」

 リンリエッタの笑い声が部屋を包んだ。笑う彼女とは対照的に、カインは眉尻を下げる。

「良いのよ。貴方の気持ちはドレスに込められているもの」

 リンリエッタは手を離すと、カインに背中を向けた。着かけのドレスの紐がだらりと下がり、白い背中が露わになっている。

 カインは静かにドレスの紐を手にした。先程の震えはとうに消えている。彼は慣れた手つきで紐を引いた。紐とドレスの擦れる音だけが部屋を満たしていく。

 リンリエッタはその音に酔いしれるように、ゆっくりと瞼を閉じる。編み上げた白い紐が結ばれるまで、静寂は続いた。

「お待たせ致しました」
「ありがとう。次は貴方の番ね。お手伝いは必要?」
「リンリエッタ様は座ってお待ち下さい」

 カインにさらりと流されると、リンリエッタは唇を尖らせる。小さく文句を言いながらも、彼女は一脚しかない椅子に腰かけた。

 カインは手早く服を脱ぎ捨てると、鞄の奥底に眠る白い衣装に身を包む。リンリエッタはニコニコと笑いながら、その様子を見つめた。

 彼は自身の支度を手早く終わらせると、リンリエッタの腕にレースで作ったグローブを通す。自らも、真っ白なグローブをはめた。

「とっても似合っていてよ」
「肩が凝りそうです」
「うふふ、慣れてしまえば凝らないわ」
「慣れる日がくるのでしょうか」

 カインは、遠く窓の外を見つめてため息を漏らす。窓枠が彩る小さな絵画は、木々が風に揺られていた。

「そろそろ参りましょう」
「ええ、皆を待たせてしまっているものね」

 カインのエスコートで、リンリエッタは教会に向かう。長いドレスの裾が地を這った。

 教会の入り口には、扉を開ける者も居なければ、祝福の声をかける者もいない。

 カインとリンリエッタ、二人で扉の前に並ぶと、カインは地に膝をついて、リンリエッタを見上げた。リンリエッタはそんな彼の姿を訝しげに見下ろす。

「……カイン?」
「もっと多くの方に囲まれてあげる婚姻の儀を行えないこと、不甲斐なく思います」

 カインは頭を下げる。リンリエッタは呆然と彼の後頭部を見つめた。優しい風が吹いて、リンリエッタの髪の毛を揺らす。カインの髪もゆらゆらと揺れた。

「そんなこと気にしていたの?」
「本来ならば、中央の大聖堂で、多くの者に祝われてもおかしくはありません。それを私のせいで」
「カイン……それ以上自分を虐めては駄目よ」
「しかし」

 カインはこれでもかという程顔を歪ませる。

「私一度だって言ったかしら? 大きな教会で大勢の前で婚姻の儀がしたいなんて」
「いえ……」
「ねえ、カイン。貴方の作ったドレスを着て、貴方が隣に立っている。それだけで私の希望の殆どが叶っているのよ」

 リンリエッタは、小さく笑うとその場にしゃがみ込んだ。カインとリンリエッタの視線が、同じ高さになる。そのことに、カインは目を大きく見開いた。リンリエッタは自身の膝に両端をついて、顎を両手に預けると、首を傾げる。

「もう、良いでしょう? ずっと、貴方と同じ目線で話がしたかったの」
「リンリエッタ様……」
「今の私は女王でも公爵家のお嬢様でもないわ。何の肩書きもない、ただのリンリエッタよ」

 リンリエッタが春の風の如く優しく笑う。カインは唇を強く噛み締めて、両膝を地に着けた。両腕を躊躇うように伸ばしたカインは、力任せにリンリエッタを抱き締める。

 リンリエッタはカインのなすがまま、身を任せる。彼の胸に頬を預けて瞳を閉じた。

「愛しております」
「ええ、知っているわ」
「私はこの血を、何度も呪いました」
「呪う必要なんてないわ。同じ赤色だもの」
「私は貴女を堂々と抱き締められない」
「それは昔の話。今日からは神に認められた夫婦になるのよ」
「私にはドレスしか有りませんでした」
「今日からは、そこに私も加えて」
「貴女を愛している。その資格が無いのにも関わらず、私は貴女を諦めることができなかった……」

 カインは許されない罪を犯した罪人の如く、まるで懺悔(ざんげ)のように、力無く言葉を零す。リンリエッタが彼の腕の中で身じろぐと、彼は腕を緩めた。リンリエッタは、できた隙間から彼を見上げる。

「ねえ、カイン。諦めないでくれてありがとう。私、今幸せよ」

 ペリドットの瞳から、一雫の涙がこぼれた。