店内は静かに音楽が流れていて何とも癒される空間が広がっている。 でもけばけばしい飾りも無ければ歌も無い。
ゆっくりと落ち着いて飲める店だった。 (ここなら仕事のことなど忘れられるな。)
俺も着ていた背広を脱いだ。 背広を脱いで飲むなんて何年ぶりだろう?
これまでは付き合いで飲むことが多かったから肩も凝って大変だった。 毎晩のように取引先と飲んでいたんだ。
その店が次々と倒産したり買収されたりで飲む相手も変わってしまった。
そのたびに名刺交換をするのだが、何年かすると貰った名刺は無用になる。
栄枯盛衰と言えば恰好はいいが、その実はドロドロした潰し合いなのだ。
儲かってると見れば買収だ何だと噛み付いて騒ぎ立てる。 負けてしまえばいいように売り払われてしまう。
情け容赦の無い経済戦争は今も続いている。 いや、今のほうが激しいのではないだろうか?
事実、うちにも買収の話は来た。 何とか逃げ延びてきたんだ。
でもこの先は分からない。 足を掬われたら終わりだ。
 しかも悪いことにパンデミックの最中だ。 これでは思い切った手が打てない。
なんとか内部留保は蓄えてあるから不意の攻撃には耐えられるかもしれない。 しかしパンデミックが年を越せばどうなるか分かったものではない。

 少しずつ酔いが回ってきた。 京子も無口になっている。
奥のボックスのほうではママの笑う声が聞こえる。 気を許している客らしい。
「じゃあ、私帰ります。」 そう言って京子が立ち上がった。
俺も後に付いて店を出る。 小さなビルの地下でやっている店だった。
その周りには空き家になっている店舗が並んでいる。 ずいぶんと寂れたらしい。
地上に出ると通りも閑散としている。 数年前まで確かに再開発で賑わっていたはずなのに、、、。
駅前通りではないからか、人通りもまばらで、行き交う車も無い。 昭和の頃はあれだけ盛り上がっていたのに、、、。
商店街が無くなったことでこの辺りも一気に寂れてしまった。
ただ、この近くで縄文時代の遺跡が発掘されたものだからその時はすごかった。
連日のように研究者たちが押し寄せ、毎晩のように宴会をやっていた。
でも展示館が出来てしまうとマニアがパラパラと訪れるだけになってしまった。
確かにね、ほぼほぼ研究材料は出尽くした感が有る。 でもそれだけじゃないだろう。
展示館が有っても運用が下手では無駄に赤字を増やすだけではないだろうか? そうなればまた再編とか廃館とか言い出すんだろう?
そもそも、この辺りの住民の意見などは反映されていないんだ。 それが問題だよ。
 タクシーが来た。 京子が呼んだ車らしい。
最近は流しでは捕まらない。 待機している車が多い。
10年前は手を上げれば何台も止まって「乗っていけや!」ってみんながそれぞれに声を掛けたものだが、、、。
今じゃねえ、マイカーを持っている人が多いから簡単にはタクシーに乗らないんだ。 時代も変わったね。
それがいいのか悪いのか、、、。 俺は酔った頭でブラブラ歩いている。
京子を乗せたタクシーはさっさと行ってしまった。 深夜の散歩もいいもんだね。
 昼間のうっとおしい連中とは違って深夜の空気は余計なことを言ってこないからじっくりと考えることが出来る。
来年はどうなっているのだろう? このままで売り上げが下がり続ければ身売りだって考えなければいけなくなる。
しかし、それにしたって余程に相手を見極めなければこちらが大損をする。 r商事の二の前にはなりたくないからな。
街灯が心細く揺れている。 この辺りはラーメン横丁って呼ばれていたんだ。
平成の間は盛り上がっていたんだが、天皇が退位されたら沈んでしまった。
今や、その名残すら残っていない。 誰も振り向かなくなったんだ。
代わりに人は空き家横丁って呼ぶようになってしまった。 勝手なもんだねえ。
 あの頃、ラーメン屋に通っていたのはほとんどがサラリーマンだった。 出張のついでって人が多かった。
それがさ、リーマンショックで潰れてしまって学生たちに変わったんだ。 でもそれは長続きしなかった。
 そして今、、、。

 俺はやっと家にまで帰ってきた。 途中までは歩いたんだが、さすがに30分はきつくてタクシーを呼んだんだ。
運転手もこの寂しい通りを嘆いていた。 「俺たちが若い頃には賑わってたのにねえ。」
「そうですよ。 映画館も並んでたし、レストランも活気が有って賑やかだった。」 「何処でどうなったんだろうねえ?」
「流行廃りは有るでしょうけど、これはテレビの影響かも。」 「テレビ?」
「そうですよ。 縄文の遺跡が出た時には騒ぐだけ騒いでおいて、展示館が出来たら寂れた田舎みたいに言い始めたでしょう。 あれはちょっとねえ。」
「そうだよね。 遺跡が出た頃にはタレントも呼んでクイズ大会とかやってたんだよね。」
マスコミのいつもの悪い癖だ。 落ち着いてしまうと見向きもしなくなる。
それで展示館も思い切ったイベントなんかをやらなくなる。 それじゃあ人が集まるわけが無い。
「会社のほうで何か大きなイベントをやらないんですか?」 そう聞かれたのはいいけれど、ぶっ飛ぶほどのアイデアは持ち合わせていなくてね。
 玄関の鍵を開けると中はしんと静まっている。 妻の聡子はもう寝ているようだ。
そりゃそうだろう。 いくら何でも2時半なのだから。
俺はぼんやりした頭で留守電を聞いてみた。 相変わらず借金の取り立て以外に着信は無さそうだ。
聡子にはいつも言っているんだ。 夜の電話には出なくていいと。
出れば長々と文句を言うだけ言って最後には「奥さんの体で払ってもらおうか。」なんて言い出すんだから。
 あいつらは何でも金に換えてしまえばいいと思っている。 こっちは堪ったもんじゃないよ。
 近所のおっさんが自殺した時、奥さんに当てて詫び状を残していた。

 『俺がだらしないせいでお前に苦しい嫌な思いをさせてしまった。 命で償うしか無いよな。
いつまでもお前を愛していたかった。 俺を許してくれ。』

 確か競馬とパチンコにのめり込んでその借金を返せずに奥さんを売ったんだよな。 他に出来ることは無かったのだろうか?
下手すれば俺だってそうなりかねない。 会社の借金は俺の名義にしてあるから。
株式会社なのだから株を売ればいいって簡単に言うやつも居るけれどそうはいかないんだよ。
借金を膨らませるだけなら仕事を作ったほうがいい。 それでも今は北極のように寒すぎるんだ。
株式を売ったところで配当が出せなければ投げ売りされてしまう。 そうなると資金を集めることは出来なくなる。
そこがジレンマなんだよ。 長くやればやるほど苦しくなるんだ。
 俺は自分の部屋に入って机に向かった。 3年前に死んだ娘の写真が飾ってある机だ。
娘の和子は25歳だった。 まだまだこれからだったのに病気で死んだんだ。
 でもマスコミ連中は会社の責任を負わされて死んだんだって流しやがった。 社長令嬢だったからね。
確かに入社した当時は秘書をさせていた。 勉強のために差。
それと病気とは何らの関係も無いだろう。 和子は病床の上で苦しんでいた。
 死ぬ前の日、弱弱しい声で俺に言ったんだ。 「私が死ぬのはお父さんのせいじゃないからね。」って。
病人にそんなことまで言わせるのか? 俺は今でも恨んでるよ。
 布団に潜り込む。 でもなかなか寝付けない。
そう、もうすぐ和子の命日が来るんだ。 去年三回忌を済ませたばかりなのに、、、。
思い切って妻の布団に潜り込んでみる。 それでもなかなか寝付けない。
寝るのを諦めた俺はまた机に向かった。 おかげで酔いはすっかり覚めてしまった。
 会社の記録を読んでみる。 景気が良かった頃のメモには販売ルートが細かく記されている。
 1990年代はまだまだ売れていたんだ。 ショッピングモールがあちらこちらに作られるようになってから急に萎んでしまったんだね。
仕入れ値を比べてもあちらのほうが断然安いんだから勝つのは難しい。
ならば品質で勝負したいのだが、これにだって限界が有る。 どうすればいいんだ?
数字をずっと睨んでいたものだから頭まで痛くなってしまった。