「大丈夫。大丈夫よ。なにがあっても、私がこの聖堂を終わらせたりしない。絶対に」

 兵士が中に残されていた少女たちを屋外へ誘導している。
火の手は落ち着いたのか、新たな煙は噴き上がってこない。
割れた窓越しに見えるのは、甲冑を着た兵たちが実験室の中を歩き回っている姿だけだった。
不意にその一角で歓声が上がる。

 大勢の兵たちが入り乱れる波間に、紅い髪が見えた。
真っ白な上着が、すっかり黒く汚れてしまっている。
彼はその腕の中に、一人の乙女を抱えていた。

「リンダ!」

 群衆を押しのけ、実験室から屋外へ出てきた彼に駆けよる。
リンダはリシャールの腕の中でぐったりとしていたものの、顔色は悪くない。
すぐに運ばれてきた担架に乗せられる。

「息はある。心配はいらない」

 意識のない彼女の手を握りしめる私の前で、リシャールは胸ポケットから茶色の小瓶を取りだした。
リンダが危険を冒してまで守ろうとした、薬品の入った瓶だ。

「気がついたら、君から渡してやってくれ」

 彼の手から直接、小さな瓶を受け取る。

「私から……で、よいのですか」
「あぁ。それでいいだろう」

 騒ぎを聞いて駆けつけた彼の側近であるダンは、めちゃくちゃに腹を立てていた。

「リシャールさま! これは一体どういうことですか。あなたはいつも……」
「ダン。一旦ここから離れよう」

 彼からぐちゃぐちゃと小言を言われながら、立ち去る紅い髪を見送る。
聖堂の火災はすっかり鎮火し、大きな怪我人は他にいないようだった。
手の平にすっぽりと収まるサイズの、小さな瓶を握りしめる。
彼よりも私の方が、この薬品の価値を知っていたのに!

「リシャール殿下!」

 後を追いかけ呼び止めた私を、彼は振り返った。
汚れた灰色のスカートの裾を持ち上げ、しっかりと膝を折る。

「聖堂の乙女を助けていただき、感謝いたします」
「礼は改めて、あの娘が目覚めた時に受けよう」
「殿下はあの小瓶の中身が、なにかご存じでした?」
「いや」

 言いたいことは沢山ある。
だけど、どう言っていいのか分からない。
それだけはちゃんと伝えておきたいのに、どう伝えればいいのかが分からない。
キッパリと顔を上げ、そこから動こうしない私に、彼は疲れたような息を吐いた。

「たとえそれがどんなものであったとしても、あの娘にとって大切なものだったことに変わりはないのだろう? もしそれが私にとって価値のないものだったとしても、彼女にとって大切なものなら、置いてはこない」
「これは私たちにとって、とてもかけがえのないものでした」
「だったらなおさら、よかったじゃないか」
「私は聖女ではありませんが、王女という身分であの聖堂にいます」

 その言葉に、彼と従者がようやく私と向かい合った。

「本来はその資格もないのに、私は特別に許されました。それは私が、生涯をかけて聖堂を守るという役目を誓ったからです」
「王族としての、義務と責任でしょう」
「ですから、今回のことは大変ありがたく思っております。が、そのことであなたに感謝することと、あなたが聖女に近づくこととは、別の話だと思っているのです!」
「は?」
 いつも上品にすましている高貴な顔に、彼はムッと眉を寄せた。

「私は自分が聖女でないことを、いつも、心底、心から悔しく、残念に思っておりました。が、まさかそのことに、感謝する日が来るとは思いませんでした。どれだけあなたに感謝はしても、聖女たちは譲れません!」

 彼はさもうるさいとでもいうように、前髪をぐしゃぐしゃとかき乱す。

「あぁもう、分かった! お前が王女だろうが聖女じゃなかろうが、これからは一切気にしない! 俺がここに来た目的は、聖女をレランドにスカウトすることだ。それを知った以上、邪魔する奴は誰であろうと許さないからな!」
「いい返事ね。受けてたちますわよ。私だって自分の大切なものを横からかすめ取られるのを、黙って見ているわけにはまいりません!」

 これは宣戦布告だ。
紅い目がとんでもなく憎らしげに厳しい目でにらみつけてくるのを、同じ目でにらみ返す。
彼にとって、これは国から任された重要な任務なのかもしれないが、私にだって何がどうなっても、譲れないものはある。
聖女を連れ出そうというのなら、絶対にそれを阻止しなければならない。
聖堂を守るということは、そういうことだ。

 リシャールは無言のまま背を向けると、ダンとともに引き上げてゆく。
私は壁の一部が焼け焦げてしまった聖堂へ戻った。
城壁に囲まれた空にはまばゆい太陽が光り輝き、空気にはまだ焦げ臭い臭いが立ちこめている。

「ルディさま……」
「大丈夫。私がちゃんと、立て直してみせますわ」

 難を逃れた乙女たちが、変わり果てた聖堂を見て泣いている。
ここを守るということは、そういうことだ。