何を「不幸」と呼ぶのだろう。

幸せの大きさは人それぞれ。


───それじゃあ、不幸せの大きさは?

何を持って、人は自分は幸せだと、胸を張って言い切ることが出来るのだろう。


その答えは、浮き上がるどころか大きな闇に包まれて、まるでどこまでも続く深い海の底に沈んでいくわたしの体のごとく、日の光を浴びることはないように思えた。


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幸せの定義は推し量れない。

なぜなら、幸せというものは、自らがそうだと思った時にしか感じられない、一種の錯覚のようなものだからだ。



ベンツから降りる際、飛鳥馬様のお膝の上に跨って座っていたわたしは、そのまま飛鳥馬様に抱きかかえられるようにして外に出た。


まあ……、つまり、抱っこという何とも恥ずかしすぎる体勢で。



「あやちゃん、寒くない?大丈夫?」



耳元で、飛鳥馬様の低い魅力的な声が響く。