発せられたその言葉に、わたしはますます混乱してしまう。

 得体の知れない存在。
 なのに、不思議と恐怖は感じない。

「に、逃げるって……誰から?」

 まさか、十和くん────?

 昨晩打ち消したはずの残酷な可能性がちらついた。

 彼女は振り向かないまま手を離す。

 それからゆっくりと、わたしの背後を指した。

 ほとんど反射的にその指先を追う。
 振り向くと、消えたはずの先生が再びそこにいた。

「え……?」

 彼女は確かに先生を指している。
 意味が分からず硬直したわたしを、また誰かが呼んだ。

「芽依」

 次の瞬間、左胸の辺りに痛みが走った。
 何かを突き刺されたような、鋭く強い痛み。

 また声が出なくなって、悲鳴すら上げられなかった。

 じわじわと鈍痛(どんつう)が広がっていく。
 どくどくとあふれる血が止まらない。

「芽依……」

 何が起きているの?
 わたし、どうなってるの?

 辺りは暗く、視界もぼやけて何も見えない。

 痛い。苦しい。痛い。
 足元がぐらつき、身体から力が抜けた。

「芽依……!」

 先ほどからわたしを呼ぶその声は、間違いなく十和くんのものだ。

 やっぱり、彼に殺されちゃうのかな?
 でも、あの女の人が指していたのは先生で……。

(ああ、駄目だ)

 何だか頭が痛い。
 意識が朦朧(もうろう)として何も考えられない。

(わけが分かんないよ────)



「芽依!」

 はっとして目を開けた。
 視界を十和くんがひとりじめしている。

 やがて焦点が合うと、心配そうな表情をしていることが分かった。

「十和くん……?」

「あーもう、焦った。すっごい苦しそうで」

 彼は汗で張りついたわたしの前髪をかき混ぜてくれる。
 目覚めた今、なぜか両手が震えていた。

(夢……?)

 きょろきょろと辺りを見回すが、ここは学校ではなかった。

 いつも通りの監禁部屋。
 当たり前ながら先生の姿もない。

 ……そっか、あれはぜんぶ夢だったんだ。
 何だか疲れてしまったが、少なからずほっとした。

「よかった、大丈夫そうで」

 彼は安堵したように息をつく。

 わたしを案じてずっと呼び続け、起こそうとしてくれていたのだろう。

「汗かいてたしシャワーでも浴びる?」

「でも……十和くんが遅刻しちゃうよ」

 何時なのかは分からないが、部屋の明るさ的にはすっかり朝だ。

「大丈夫、今日休みだし」

「……あ、そうなんだ」

「お気遣いありがと」

 彼の笑顔は夢の中と変わらない。
 これが偽物だとは思えないけれど……。