スイート×トキシック


 最初に逃げようとした夜、わたしは家の間取りが分からなくて失敗した。

 それと同じように、土地勘がなければ外でもきっとうまく逃げられない。

 十和くんにとってはその方がいいはずなのに、どうしてあれこれ教えてくれるのだろう。

「……何でかな」

 街灯に照らされ、彼の表情がぼんやりと見える。
 困ったような、曖昧(あいまい)な笑い方をしていた。

(変なの……)

 また不安が込み上げてくる。

 “外へ出よう”と言ったことも、こんなふうに道を教えてくれることも。
 いつもの彼なら絶対しないのに。

(何か、わたしに逃げて欲しいみたい)

 手錠がなかったら、きっと手すら繋いでいない。

 これがなければ、また突き放されていたかもしれない。
 ひとりぼっちにされていたかもしれない。

 外へ出てからずっと、無性に不安で気が抜けなかった。

 何だか、わたしじゃなくて十和くんの方がいなくなってしまいそうで。

 ────あてもなく歩き続けた。
 ひとけがないお陰か、外であってもあの部屋の延長みたい。

「あー、夢みたい」

「何が?」

「芽依とデートできるなんて」

 しみじみと照れくさそうに十和くんが言う。

「……これがデート?」

「なに、不満なの?」

 すねたように聞くと、同じ調子で返された。
 わたしはむっとしてしまう。

「そりゃね! デートって言うならやっぱりかわいい格好したいし、楽しいところに行ったり美味しいもの食べたりしたいよ。堂々と手繋ぎたいし、顔上げて歩きたい」

 思わず口走ると、落ちた沈黙は予想以上に重たかった。

「……なんて、冗談」

 取り(つくろ)うようにとっさ笑う。

 そんなの無理だと分かっているし、これじゃまるで十和くんを責めているみたいだ。

 一緒にいられるだけで、手を繋いでいるだけで、十分幸せなのに。

「ごめん、わたし────」

「分かった。じゃあ行こ」

 戸惑っていると、くるりと方向転換した彼が歩き出す。

 そのうち、だんだん人の姿がまばらに見えるところまで出てきていた。

 大きな車道、信号、立ち並ぶお店や家の明かり。
 隔離(かくり)状態にあったわたしたちの生活とは(つい)になるような賑やかさ。

「と、十和くん……?」

 ますます不安が込み上げてくる。

 繋いだ手をポケットに押し込んだまま、何だか怖くなってうつむいた。
 誰かとすれ違うたび、寿命が縮むような思いをした。

 (おく)することなく進んでいく彼は、やがてたどり着いたコンビニへ入っていく。
 白い光が眩しい。

「いらっしゃいませー」