「ばいばい、先生」

 彼は少し意外そうな表情を浮かべた後、ふっと緩めた。

「日下も言葉遣いな」

 心臓がどきどきした。
 何だか胸がいっぱいで、つい顔が綻んでいく。

「また明日」

 そんな先生の言葉を受け、わたしたちは今度こそ背を向けた。



*



 昇降口から出る間際、朝倉くんが「あ」と不意に足を止めた。

「ごめん、忘れものしちゃった。先行ってて」

「え?」

「校門出たとこの木の下で待っててくれる? すぐ追いつく」

 (きびす)を返して足早に行ってしまう。
 忘れものくらい、一緒に取りに行ったのに。

 そう思ったものの、わたしの足は自然と彼の言葉に従っていた。

 校門を潜ったすぐ横に植えられている大きな木の下に立った。
 葉が生い茂って木陰になっている。

 何とはなしに、ぼんやりと周囲を眺めた。

(あれ……?)

 何だか妙だ。
 視界のどこにも焦点が合わない。

 景色や道行く人は見えているのに、どれもが霞んではっきりと捉えられないのだ。
 瞬いても一向におさまらなかった。

 そのうち、思考や意識まで(きり)がかってくる。
 薄い膜が張っているみたいだ。

(何だろう。疲れてるのかな……)



 奇妙な違和感に首を傾げながら彼を待ち、そのまま5分近くが経った。

(朝倉くん、遅いなぁ)

 何かあったのかな。
 そろそろ心配になってきた頃、ちょうど駆けてきた彼が飛び出してきた。

「ごめんね、芽依ちゃん。お待たせ」

「あ、ううん!」

「行こっか」

 そう言われ、歩き出してから気付く。
 帰り道の方向、一緒だったんだ。

(朝倉くん、何で知ってるんだろう?)

 苺ミルクと同じように、人づてに聞いたのかな。
 あるいはたまたま見かけたことがあるのかもしれない。

「そういえば、前髪切った?」

 覗き込むようにして尋ねてきた。
 つい驚いて目を見張ってしまう。

「……え、凄い。よく気付いたね」

 昨日の夜、ほんの数ミリ程度切っただけなのに。
 思わず前髪に触れると、勢いよくその手を掴まれた。