じー、とファスナーを開ける。
 中身をどけて、スマホを手に取った。

 硬く冷たい質感。やけに重たく感じる。
 真っ黒な液晶画面に自分が反射していた。

 さすがにバッテリーは切れているだろう。
 でも今なら難なく充電出来る。

 そうすれば、通報するなり助けを呼ぶなり出来る。

「…………」

 しかし、画面の中のわたしは惑いを(あらわ)にしていた。
 正直まだ決めきれていない。



(十和くんと離れたくない)

 それは確かにわたしの本心だ。
 でも、そのためにすべてを犠牲に出来るかな。していいのかな。

(あぁ、もう……)

 スマホを握り締め、目を瞑った。
 いっそのこと馬鹿になってしまいたい。

 “今”しか考えられないくらい、彼に夢中になれたら。
 彼を選ぶことの意味さえ分からないくらい、鈍感だったなら。

 ────もうすぐ魔法が解ける。
 夢の終わりを告げる鐘が鳴る。

 わたしが自分の意思で決断出来るリミットは、十和くんが帰ってくるまでだ。

 それに気が付いてしまって、逆に正気を取り戻しつつあるのかもしれなかった。

 それでも想いは少しも揺らがない。

 十和くんに傾いた心や好きという気持ちも、いっそのこと勘違いだったらよかったのに。

 そう思った途端、不意に心がちぎれそうなくらい痛んだ。

『好きなんだ、芽依ちゃん』

『ぜんぶ好き』

『芽依、好きだよ』

『芽依‪を見てるとさ、そのたびに思うんだよね。あー、好きだなぁって』

『大好き』

 ここへ来てから、彼は何度わたしに“好き”だと伝えてくれただろう。
 ありったけの想いを、惜しみなく。



「……っ」

 はっとした。
 呼吸が詰まった。

 そうやって彼が()てついた心を溶かしてくれたのに、それを(ないがし)ろにするなんて。
 覚悟が足りないのはわたしの方だ。

『ほんとの意味で信じたい』

 そっか、と思い至る。

(────迷うことなんてなかった)

 わたしは鞄の中にスマホを戻した。
 もう一度ファスナーを閉めておく。

『芽依には俺しかいないんだから』

 きっと、外へ出たってほかにはいない。
 これほどにわたしを想って、愛して、大切にしてくれる人は。

『諦めて。どうせ、君は俺を好きになるから』

 ……もしかしたら、十和くんは最初からこうなることを見越していたのかもしれない。

 今までずっとそうだったように、わたしは今も彼の掌の上なのかもしれない。

 わたしがこの選択をすることを分かった上で、念を押したに過ぎないのかもしれない。

 でも、構わない。
 それならそれで、騙されていたいだけ。

(わたしは十和くんのそばにいるよ、ずっと)

 わたしへの恋心に、愛情に、信頼に応えたい。
 彼を裏切りたくない。

 それ以前にもう、想像がつかない。
 この家を出た後のこと。
 彼との生活が終わること。

 わたしに与えられた選択肢は、最初からひとつだけだった。