(でもまさか求婚されるとは思わなかったわ)

 この場にいる誰もがそう思っているだろう。
 だが、心の奥底では今回の求婚に驚き、戸惑い、自分勝手な行動をした皇王に憤慨しているはずだというのに、誰にも心情を悟らせない。
 この振る舞いこそ王者の風格だと、誰かが言っていた。

(無責任な話よね。所詮は貴族。王族にはなり得ない人々の戯言よ)

 シルディアはティーカップをソーサラーに置き、フロージェに視線を向ける。
 すると彼女もシルディアを見ていたようで、目が合った。
 国王夫妻の目が二人を向いていないことを確認し、やれやれと言わんばかりに笑って見せれば、フロージェは吹き出しそうになった口元を手で抑えた。

(私の意思は関係ない。この婚姻、結ぶか結ばないかは、フロージェ次第よ)
「此度の求婚事件について、求婚されるような心当たりはないのだな?」
「もちろんです」
「皇国に嫁ぎたいか?」
「……いいえ。そのつもりはありません」

 フロージェは一瞬、返答に迷ったがはっきりと否と口にした。
 これで方針は決まった。
 この国で、彼女の言葉は絶対なのだから。

「はー。そうか。わかった。どうにか断ろう」

 そう言った国王は安堵の息を吐く。
 それもそのはずで、今夜の夜会で唐突に行われた求婚はアルムヘイヤ王国(こちら)にとっても想定外のものだ。
 国王にのしかかる心労は計り知れない。
 なにせ丹精込めて育ててきた愛娘を、どこの馬の骨と知れない男にかすめ取られそうになってるのだから安堵もするだろう。

(まぁ溺愛する愛娘に求婚した相手が、あの皇王だものね。王族といえど断り切れない相手だと理解していれば、こうもなるか)

 目に見えて狼狽する国王を冷ややかに眺め、シルディアは王妃へと目を向けた。
 王妃は静観を決めているのか、紅茶を優雅に飲んでいるだけだ。
 老いてもなお衰えない美しさには気品が感じられる。それは当たり前の話で、シルディア達と同じ白髪を持つ王妃は他国の王女だったのだから。
 双子姉妹の母でもあり、生まれ落ちた瞬間に死が確定していたシルディアを生かした張本人でもある。

「ですが陛下。皇国からの申し出、受けなければどのような報復があるか……」

 王妃の心配はもっともだ。
 この国と皇国ははるか昔から仲が悪く、事あるごとに戦争をしてきたという歴史がある。
 現皇王も冷酷無慈悲で残虐だと囁かれている男だ。
 無理難題だと理解した上で求婚してきた可能性もある。
 断れば即開戦という未来も容易く想像できるほど、かの皇王は策略家としても有名だ。