吉沢はなぜ自殺を選んだのだろう? 話せる人が近くに居なかったからなのか?
彼は最初、営業部に配属されていた。 しかし話すことに慣れていなかった彼は営業成績を上げられずにいた。
それを誰にも相談できずに厄介者にされてしまって管理部に回されたのだ。
そしたら例の通りに虐めの対象にされてしまった。
男ばかりではない。 女性社員だって容赦なく虐めに加わっていた。
部内の空気がそうだったのだからだれにも止めることが出来なかったのだろう。 最初は暴言だけだった。
それがやがて暴力に変わり、拘束や性暴力にまでエスカレートしてしまった。
なぜ誰も気付かなかったのだろう? 確かに気になる噂は流れていた。
 飲みながら歌いながら時間は過ぎていく。 11時半を過ぎてラストオーダーを告げる店員がやってきた。
「じゃあ、最後は雑炊で閉めましょうか。」 「いいね。 ほんとに今日はいい集いだった。 みんなありがとう。」
一階の客も帰り始めたようだ。 俺は考え深そうに雑炊を食べている沼井の横顔を見た。
(嵐がやっと通り過ぎたんだ。 これからは鷲のように羽ばたいていかなければ、、、。)

 店を出るとみんなは三三五五車を拾って家路に付いた。 「尚子ちゃんはどうするの?」
「そうねえ、、、今夜もお世話になろうかな。」 「そう。 じゃあお幸せにね。」
「おいおい、柳田さん、、、。」 「いいじゃない。 彼女が甘えたいって言ってるんだから。」
「そりゃあ、、、。」 酔った初枝は俺にピースサインを送ってタクシーに乗り込んでいった。
 「ねえねえ、あの犯人捕まったんだって。」 「え?」
「あの、、、ママさんを殺したあの男よ。」 「そうか。 捕まったのか。」
尚子はスマホに流れてくるニュース速報を見ながら興奮したように言った。 「やっぱり眼帯をしてる男だったわ。」
「眼帯化、、、。 タモリみたいだな。」 「やあねえ。 タモリさんに失礼じゃない。」
「それもそうだ。」 歩きながら不意に尚子を抱き寄せてみる。
「どうしたの? もしかして抱きたくなった?」 「かもね。」
「かもね、、、じゃなくて抱きたいって言ってよ。」 「道の真ん中でかい?」
「何処だっていいでしょう? 萌えてる時に抱かれたいわ。」 「おいおい、、、。」
「高木さんは攻めれないのね? 守ってばかりじゃダメよ。 それじゃあ冷めちゃうわ。」
そこまで尚子が言うものだから俺は歩道の真ん中で尚子を抱き締めた。 「今夜はもっと感じていたいな。」
人通りも絶えた静かな夜道で俺たちはキスを交わした。 そして、、、。
 家に帰ってくるとそのまま寝室に飛び込んで二人揃って布団に潜りこむ。 辺りに脱いだ背広を放り投げてね。
康子が居た時でさえ、ここまで激しく萌え上がったことは無かったかもしれない。 初めて俺は我を失った気がする。
完全燃焼だった。 明日のことも俺の頭の中には無かった。
人間だって獣になる時が有る。 何もかも忘れて目の前の全てを奪い尽くす時が、、、。
それで死んでも構わない。 悔いの残るような生き方はしたくない。
尚子だって同じだった。 いつになく激しく萌えていた。
 その頃、康子は仕事に没頭する毎日を送っていた。 何処かに空虚さを感じながら。
(このまま仕事に追い回されてていいのかな?) 走り回りながら解き切れない疑問と不安を感じていた。
(もしも、あの頃みたいにあの人が居たら、、、。) 叶いそうで叶わない夢を見ている自分に時々嫌気が差してくる。
(別れちゃった人なんて二度と戻ってこないんだからさあ、追い掛けても無駄よねえ。) そう振り切ってみるけれど、夜になるとやっぱり思い出してしまう。
中年の寂しさか、それとも思い残した何かを探しているのか? 康子は今日もボーっとしているのである。

 週が明けて新たな一週間が始まった。 「高木さん、社長が呼んでるわよ。」
事務員の丹沢順子がカスタマーセンターに入ってきた。 「呼んでるって?」
「そうそう。 あの事件の犯人がやっと起訴されるんだって。」 「それがどうしたの?」
「高木さん、あなたが刺された事件でしょう? 何とも思わないんですか?」 「まあまあ、人間だってさあ、誰だってむしゃくしゃして殺したくなることも有るよ。 死ななかったんだからいいじゃないか。」
「んもう、、、。」 順子は呆れ顔で俺を見た。
「やつが恨んでるからってこちらも恨み返したらずっと同じことを続けなきゃいけなくなるんだよ。 何百年も何千年も。」 「それはそうでしょうけど、、、。」
「だからね、恨まれたら恨まないことだ。 仕返しをするとかしないとかじゃなくてね。」
 でも取り敢えず俺も社長室に行ってみた。 「お、高木君か。 あの犯人 起訴されたらしいよ。」
「まあ、そろそろそういうことになるでしょうね。」 「君は何とも思わないのか?」
「思わないことは無いけれど、相手は吉沢の親族です。 吉沢と言えば管理部には恨みが有るでしょうが、、、。」 「そうだったな。」
その管理部長と副社長の裁判も間もなく始まる予定だ。 これできれいさっぱりになってくれたらいいが、、、。
 初枝は管理部だった部屋の掃除をしていた。 閉め切ったままでは使い物にならなくなるから。
部長の机を動かしてみる。 (何だろう?)
その下から四角い箱が出てきた。 開けてみるとフラッシュメモリーが何枚か入っていた。
「こんな所にメモリーが置いてあるなんて変よね。」 初枝はそれを持って尚子の所へ飛んで行った。
「ねえねえ、尚子ちゃん。 メモリー再生できる?」 「ああ、パソコン空いてるからいいわよ。」
「これなの。 管理部長の机の下から出てきたのよ。」 「管理部長?」
リーダーにセットしながら尚子は何だか嫌な予感がした。 再生してみると、、、。
ワーダのキャーダの奇声が飛び交っている。 そしてどよめく男たち。
カメラの先に居るのは吉沢と部員の原口明日香である。 (何してるんだろう?)
「この子、去年入ったばかりの新人じゃない。 部長は何させてるのよ!」 吉沢を立たせて飛鳥が長い髪を揺らしながら絡み着いている。
膝まづいてズボンを脱がしたところで、尚子は再生を止めた。 「見てられないわ。」
「新人社員にピンサロまがいなことをやらせてたなんて、、、許せないわ。」 「で、これはどうするの?」
「裁判所に出してくる。」 「行ってらっしゃい。」
尚子にはそう言うしか無かった。 管理部があそこまで乱れ切っていたとは、、、。
正直、俺は虐められたことも虐めたことも無いからどちらの気持ちも分からない。 でも責任者としてはどうなのだろう?
部下が虐められていても平気で見ていられるものなのだろうか? 人間もああなったら終わりだよな。
しかもさ、管理部と言えば会社の中枢だよ。 そこであんな陰湿な虐めが在ったなんて、、、。
営業部から回されてきた能無しだって囃してるやつも居たらしい。 囃すのは自由だけどさ、、、。
だからってこれは無いよね。 俺はずっと営業部だったから中には居なかった。
それが幸いしたのかね? 叩かれることも弾かれることも虐められることも無いままにここまでやってきた。
もちろん、栄田とか河井みたいにうまく逃げてきたやつも居ることは居るさ。 でも全員が逃げられたわけじゃない。
綱渡りが下手な人間も居るわけだから。