ややあって夏になった。 世間ではお中元の話も出てきている。
俺はというと沼井の熱い懇願を受け入れて副社長になった。 そして、、、。
 「やっぱりショールームは必要でしょう。 駐車場を改装して小さくてもショールームを作りましょう。」 「そうだね。 訪問には限界が有る。 来てもらったほうがいいな。」
打ち合わせもそこそこにカスタマーセンターへ行ってみる。 やっとホームページも一新して再スタートだ。
社内はまだまだ落ち着かない。 吉沢の慰霊碑も建立することがやっと決まって動き出したばかり。
管理部は解体したが、他の部門の編成が覚束ない。 そこで俺もセンターを兼任することになっている。
「重要な話が出てきたら呼ぶから来てくれよ。」 「分かりました。」
兎にも角にも事件が連続したために辞職者も増えてしまって営業部もアタフタしている。
 「まいったなあ。 これじゃあ今月も赤字だぞ。」 会計部の沢崎雄介が溜息交じりにセンターへ入ってきた。
「しょうがないよ。 しばらくは苦しくなる。 銀行からは何とか営業資金を借りれたが、来年までは踏ん張らないとね。」 「とはいっても打開策は有るのか?」
「有ったら苦労しないよ。 でも何もやらなければ黙って地獄に嵌るようなもんだ。 従業員をこれ以上減らさないためにも手を考えてるんだよ。」
「高木さん いい手は有りそうか?」 「何でもかんでもやればいいってもんじゃない。 でもな、ダメだって思ったら何も出来なくなる。 知恵を集めるんだ。」
そこで俺はまた栄田たちを呼び集めた。 「中年の頭の見せ所だな。」
「何だそりゃ? マジカル頭脳パワーか?」 「懐かしいな、おい。」
「これからまたこの面々で集中会議だ。 飲んでりゃあアイデアも出るだろうよ。」 「栄田さんなら下ネタね?」
「何だと? 俺様を馬鹿にする気か?」 「まあまあまあ、喧嘩はしないの。 おじさんたち。」
尚子はまたいたずらっぽい笑顔で栄田たちを出迎えた。 「ははあ、、、尚子様。」
「まったくもう、、、どうしようもないおじさんたちよねえ。」 初枝まで笑いをこらえている。
合うような合わないような連中だが、いざとなれば力を合わせてくれる仲間たちである。 これほどに頼もしいとは思わなかったな。
 「今夜はまたまた飲み会でもやろうじゃないか。」 「何処でだよ?」
「もちろん、、、ま、る、い、ち、、、よね?」 「あそこでかい?」
「あそこしか無いじゃない。 ねえ、高木さん。」 「そうだなあ、、、沼井君にも来てもらおうか。」
「社長って飲めたっけ?」 「んだ。 飲んでる所を見たことは無いなあ。」
「でもさあ、丸一ならお茶も有るしいいんじゃないの?」 早速初枝は沼井のスケジュールを確認しに行った。
 「それでさあ、今後は人選をどうするかだよなあ?」 「人選か。」
 静かなセンターの中で男三人 額を集めて話し合っている。 従業員も前より減ってしまったし難航しそうだ。
尚子はというと事務室に戻って書類の整理をしている。 「あーあ、今月も赤字か。 大変ねえ。」
何気に聞いていたラジオからは懐かしい歌が流れている。 「思い出すなあ、高校の頃を。」
聖子ちゃんカットが大流行になり、チェッカーズが大ブームを巻き起こしたあの頃、、、。
世間はバブルに沸いていた。 誰もが浮足立っていたあの頃。
マンションだって億で取引されていた。 土地も面白いように売れていた。
その裏では土地転がしなどと揶揄される事件も多かった。
さらにはグリコ森永事件などと言う奇妙な事件も騒がれていた。
70年代から80年代までは異様な時代だったのかもしれない。
その頃、俺も尚子も栄田たちも学生だった。
だからバブルとはいってもその渦中に居たわけではない。
ただ、今よりも遥かに高給取りが多かったことは覚えている。
親だって毎晩外食でもいいくらいの給料を貰っていたからね。
そんな時代はまた来るのだろうか? でも嬉しいような悲しいような、、、。
企業という企業は大学の新卒者にこれでもか!とばかりに破格のサービスをめちゃぶりしていた。
2000年代の今となっては信じられない事ばかりだ。 それだけ財布に金が有り余っていたんだなあ。
あの時は驚異的な買い手市場だった。 今は新卒者が売っても売ってもなかなか買ってくれない企業ばかり。
為替だって250円とかいう驚異的な安さだったからねえ。
それが90年代に入ると150円くらいにまで驚異的に切り上げられてしまった。 そうなると日本の競争力は格段に落ちてしまう。
20年経った頃には1ドル70円なんてものすごすぎるハイパー円高の時代に入ろうとしていた。
それをなんとか止めさせたのが安倍晋三の政策だった。 そのアベノミクスに日銀が協力してハイパー円高は落ち着いたんだ。
それからまたまた時間が過ぎて2022年になってようやく驚異的なデフレの出口が見えてきた。
『失われた20年』とかデフレの20年とか騒ぎたい人は今でも言いたい放題に騒いでいるが、それで何が出来るのかね?
右を向けば左の頬を打ち、左を向けば右の頬を打つ。 それでいいのか?
そんなことばかりやっていても何も変わらないんだよ。
 事実、日銀が0金利政策をやってここまで来るのに10年掛かったんだ。
小泉純一郎の時になぜこれだけの政策を打てなかったのかね? デフレを賛美するような風潮が在ったからだろう?
あの当時、不良債権を大ナタを振るってほぼ強引に整理した。 その後が全くダメだった。
銀行やデパートも安売りされたよねえ。 マスコミは「ハイエナが餌を狙っている。」って騒いでたっけ。
そりゃねえ、強引にやったもんだから反発だって起きるよ。 馴染みの会社がいくつも消えたよね?
それでもやっとここまで来たんだ。 再出発だよ これから。

 夜6時。 沼井と一緒に栄田たちが丸一にやってきた。
「沼井さん、今夜は無礼講ですからね。」 「分かった。 これまで世話になったね。」
「あらあら、社長、来てくれたんですね?」 「顔を出さないわけにもいかないよ。 さんざんにお世話になったんだから。」
みんなが揃いも揃って背広姿で中へ入ると店長が飛んできた。 「お待ちしてました。 いつもいつもご利用ありがとうございます。 今夜は二階の座敷を使ってください。」
店員が先導する中、俺たちは話ながら二階へ上がってきた。 和室で落ち着いた部屋である。
今は懐かしい七輪まで備えられていて壁には水墨画が掛けられている。 「おいおい、、、。」
河井は少々面食らった顔で初枝を見た。 「いいじゃない。 たまにはこんな雰囲気も。」
「料理は少しずつ運ばせますので遠慮なくお過ごしください。」 店員が下りていくと栄田はメニュー表を開いた。
「みんな、最初はビールでいいな?」 「いいよ。」
「じゃあ今日はさあ、盛り合わせを中心に頼みましょうねえ。」 初枝は受話器を持った。

 その頃、俺を刺したあの男は連日の取り調べも大詰めに来ていた。 実況見分も終わって起訴するかどうかの判断を仰いでいる所である。
もちろん地検は起訴すると見られている。 俺はどうでもいいと思うようになっていた。
会社の中の問題がこんな形で噴き出しただけなのだから。 もちろん一歩間違えば俺は死んで居たのだから許せない気持ちは確かに在る。
でも反対の立場だったら俺だって間違いなく誰かを襲撃したろう。 そう思うと憎む気になれないんだよ。
それを一番肌身に感じているのは沼井かもしれないな。
部下が自殺し、その上司が逮捕され、自殺した人間の兄貴が他の社員を刺してしまった。
二重三重に事件をややこしくしてしまったんだ。 だからか、沼井は俺の顔を真正面から見ようとはしなかった。
 話は盛り上がってきた。 あの答申案についてもいろんな意見が出てきた。
「それにしてもあれだけの思い切った答申を出してくれるとは思わなかったよ。 高木君、本当に世話になったな。」
沼井はそう言うと初めて俺の手を握った。 尚子もそれをじっと見詰めていた。
やがて河井が音頭を取って社歌を歌い始めた。 何度も何度も、、、。