「……お、オレを王太子の座から降ろすというのですか!?」

「聞こえなかったのか? そう言っているのだ」

 シリウス王は目を閉じて、一息吐く。隣に座るアルトリア王妃はハンスを見ることはなく、終始顔を背けていた。酷くやつれ、仮初の威厳すら失った実の息子にかけるせめてもの情けなのだろうとアナスタシアは考えていた。

(王妃様……事前に陛下からこうなることをお聞きになっていたのね……)

「そんな……! い、いやです! オレは王太子であり続け……そして将来は王に……」

「ハンス様……」

 フレデリカは口に手を当てながら戸惑うハンスを見つめていた。掛ける声も見当たらないのだろう。そんな中、ハンスの言葉にシリウス王が反応を見せる。

「お前が将来の王だと……? この愚か者が!!」

「ち、父上?!」

 立ち尽くすハンスにシリウス王の喝が飛ぶ。気圧されるようにその場にハンスは尻餅をついた。シリウス王の隣に立つレオはそのやり取りを静かに見守っていた。呼吸を整えたシリウス王は静かに言葉を口にする。

「自分の管理する領地に流行り病を蔓延させておきながら、自分はのうのうと女の尻を追う……それは王太子のやることではないのだ、ハンス」

「!」

 ハンス自身が管轄していた領地での流行り病の件はずっと隠していたはずだった。だが、シリウス王は知っていたのだ。ハンスは更に空いた口が塞がらなかった。レオは可愛そうなモノを見るようにハンスのことを見ていた。だが、その憂いが向けられていたのはハンス自身ではなかった。

(流行り病……ハンス様は自分の領地で起こった流行り病のことを隠していたということね……私にはレオの気持ちがわかる……可哀そうなのはハンス殿下じゃないわ……本当に可哀そうなのは……)

 アナスタシアは右手をそっと胸に当て、レオと同じ表情を浮かべた。シリウス王は玉座から立ち上がると目を見開くと震えるハンスに向けて言葉を放つ。

「いつも言っていたはずだ。このリュミエール王国にとって民こそが一番大切な存在なのだと。それを自らの欲望にかまけて見捨てるような真似をするとは……恥をしれ、ハンス!」

「ひっ……!」

 今までに無いほどの覇気を持ったシリウス王の言葉を受けたハンスは完全に怯え切っていた。

「挙句には自分可愛さに、そこにいるレイヴンの甘言に嵌まり自らも罪に加担するとは……王として、そしてお前の父として呆れて物も言えぬ。いや、このままではリュミエール王国に生きる全ての民に申し訳が立たん」

 シリウス王はこれまでの自分の不甲斐なさ、そして民を憂いていた。そして手を払う素振りをしながら高々と言葉を王の間に響かせた。

「ハンス・リュミエール! 国王シリウスの名において命ずる……今この場、この時を持って汝から王太子の座を剥奪する!」

「あ……ああ……」

(これで本当に終わりです、ハンス殿下……いえ、ハンス)

「兄上、兄上の管理していた領地での流行り病はアルク陛下のお力添えを頂いた私が指揮した医療班によって既に正常化に向かっています。一応お耳には入れておきます」

 ハンスに実情を告げたレオはシリウス王と見つめ合う。そしてレオは頷いた後、ゆっくりと緩やかな階段を降りると玉座に向かって跪いた。シリウス王が右手を跪くレオに向ける。

「第二王子、レオ・リュミエール! 今日、この場を持って汝を王太子とする! この国、そしてこの国に生きる全ての民の為に心血を注ぐよう努めよ!」

「はい、陛下。このレオ・リュミエール……その命に従います。全てはこの国と国に生きる民のために……」

 レオは跪いたまま、深い礼をする。シリウス王もそれを見て頷いてみせる。アルトリア王妃も優しい眼差しで見つめていた。

「お願いしますね、レオ」

「はい」

 立ち上がったレオは後ろで倒れ込むやつれた自分の兄、そしてレイヴン達の方を見る。その後、ゆっくりとアーヴェントとアナスタシアの元に歩いていく。

「おめでとう、レオ……いや、レオ殿下」

「今まで通り、レオでいいよ。ボクはやっと始まりの場所に立ったばかりだからね」

 二人は固い握手を交わす。気持ちを伝えるにはそれだけで十分だった。次いでアナスタシアも笑顔を浮かべながら言葉を口にする。

「おめでとう、りちゃ……いえ、レオ殿下……っ」

「はは。やっぱりまだ慣れないよね。済まなかったね、アナスタシア。長いことキミも騙していて」

 アナスタシアは首をゆっくりと左右に振る。

「いいのよ。お屋敷で明かしてもらった時も言ったけれど、私は貴方が元気でいてくれたことが嬉しいの。それに身体もすっかり良くなったことも嬉しいわ」

「ありがとう、アナスタシア」

 レオはシリウス王に向かって振り返る。

「陛下、王太子として進言いたします」

「申してみよ」

「先程も申し上げました通り……この者達の罪はあまりにも重いです。極刑に処すべきかと存じます」

 再びレオの口から放たれた言葉にハンス達は騒然とする。だが、言葉がなかなか出てこない。いや威厳に満ちたレオを直視出来なかったのだ。

「そうだな……実の兄であるラスター、そして妻であるルフレの命を奪い自らの権力を振りかざしただけでなく、姪であるアナスタシアに行った卑劣な仕打ちの数々……そしてオースティン家を襲撃した事実。もはや掛ける情けもない、か」

 シリウス王の言葉を耳にしたレイヴン達が必死の声を上げる。

「へ、陛下……! どうか、どうかご慈悲を……!」

「どうか、どうか……!」

 レイヴンとクルエは頭を床に突き付けながら嘆願する。娘のフレデリカだけは口に手を当てたまま頭を左右に振り、涙を浮かべていた。

「き……きょっけい!? わたくしも?! い、いやよ、いや! 私は何も悪いことはしていないわっ」

(フレデリカ……)

 アナスタシアは言葉を掛けることはなく、ただ哀れみの瞳を向けていた。

「父や母と同じようにアナスタシアを虐げていたお前も既に罪を犯しているのだ、フレデリカ。極刑ではなくとも、その罪に応じた報いは受けてもらうぞ」

 シリウス王の言葉にフレデリカは更に顔を青ざめていた。

「そ……そんなっ……」

「ハンスとフレデリカは後にするとして……ではレイヴン、クルエには極刑を……」

 シリウス王も色々と思う所があるらしく、険しい顔を浮かべていた。すると今まで黙ってレオ達のやりとりを見守っていたアーヴェントがシリウス王に声を掛ける。

「お待ちください、陛下」

 シリウス王の言葉はそこで止められた。あとは王命だ、と付け加える寸前だった。アーヴェントは玉座の前に跪く。

「アーヴェント……?」

 突然の友の言葉にレオも目を見開いていた。アーヴェントの様子を見たシリウス王が尋ねてきた。

「どうしたのだ、オースティン公爵」

「彼らの処罰についての決定はこの一連の件の当事者であり、私の婚約者であるアナスタシア・ミューズにお任せ頂けないでしょうか」

 シリウス王に向けられたアーヴェントの深紅の両の瞳は力強い輝きを放っていた。