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 屋敷から追い出された私は馬車に乗って帰路についていた。
「まさか大勢の前で婚約破棄されるなんて思いもしなかったわ。それに浮気までされていたなんて……」
 頭の中を整理したいのに全然思考がまとまらない。

 これまで立派な女主人になるために必死になって勉強していたのに無駄になってしまったとか、彼の好きな色糸で刺していた刺繍が途中までだったとか、重要なことから些末ごとまでいろんなことが頭の中を通り過ぎていく。そしてすべての思考が通り過ぎた後、最後に残ったのは『婚約破棄された侯爵令嬢』という事実だけだった。

 現実を漸く受け入れた私の瞳からはぽろりと涙が零れ落ちる。
 この涙が何の涙なのか私にはよく分からなかった。政略結婚だったから身を切るような失恋ではないと思う。彼への好意はあったけれどそこまで強くない。一般的な恋愛と比べて傷は浅いはずだ。

 ――だけど浮気されて婚約破棄された挙げ句、悪女に仕立て上げられたんだもの。完膚なきまでに侮辱されて傷つかないわけないわ。
 私は零れた涙を人差し指で払うと、車内の天井を見上げた。