それはお父様と先代が私とフィリップ様との婚約を書面に一切残していなかったこと。親友で長年付き合いがある二人は互いに信頼し合っていたためそんなものは必要ないと思っていた。
 その判断は非常に甘かったと今ならはっきりと言える。
 何故なら結婚する前に先代が急逝してしまい、フィリップ様がプラクトス伯爵になったその日――つまり今夜、私は彼に婚約破棄を告げられたからだ。


 ――フィリップ様が伯爵になった以上はただの口約束に過ぎないこの婚約を守る必要はどこにもないわ。書面を残していなかったばかりに私は手も足も出ない。

 黙り込んでいるとフィリップ様は隣にいるカリナ様の肩を抱いて自分の方へと引き寄せた。
「俺はカリナという真実の愛を見つけたんだ。伯爵に就任して最初の仕事が婚約破棄なのはどうかとは思うが、おまえのような性格の卑しい女との婚約が破棄できて清々している」
「性格が卑しい……ですか?」
 唐突に悪口を言われたので私は面食らってしまう。

 首を傾げて聞き返しているとフィリップ様は私が惚けていると判断して、しらばっくれるなと鼻を鳴らした。
「おまえはカリナが俺と親しくしていることに嫉妬して、陰湿な虐めを繰り広げていたらしいな」
「え?」
 初めて聞く内容に私は目を見張った。

 私は二人が親しい間柄であることは知っていたけれど、そこに恋愛感情があっただなんてちっとも知らなかった。彼女に嫉妬して虐めたことなんて一度もない。
 というより、もともと私に対して冷淡だったフィリップ様の態度が半年前からさらに加速したのはカリナ様との仲が深まったからだと今更気づく。
 正直な話、私にとってフィリップ様の浮気も婚約破棄も青天の霹靂だった。