「…申し訳ない、失念してしまいました、もう一度、教えて頂けませんか?」
理緒の表情をチラッと見た。失望すると思ったが理緒は笑顔で答えた。
「はい、バレエの講師は大変厳しいですが、自分の成長や上達を嬉しく感じます」
前回と、全く同じ答えだ。
「バレエをやめたくなったことは?」
「ありません」
「では、バレエを"やめてはいけない"と思ったことは?」
「………」
理緒の表情が固まった。きたー
「どうです?」
「それは、思っています…」
いいぞー
「なぜ、やめてはいけないと思いますか?」
「何かに没頭するのが好きだからです」
誠一郎は、もう、ほとんど理緒の問題点の確信を得たので、この質問をいったん、やめた。
「ピアノはどうです?」
「ひいているときは、とても幸せです」
「ピアノはいつから始めましたか?」
「一年前です」
「なんのキッカケでピアノをやろうと思いましたか?」
「津川先生がいらっしゃるときは、ピアノの音がご迷惑かと感じ、一人暮らしを始めたときです」
ピアノは亮二と離れたあとか。
「仕事も一年前からでしたよね?確か、法律事務所でお仕事を開始したとか」
「そうです」
「一年前から、バレエの他に仕事とピアノが追加されたのですね?」
「はい」
「今はバレエとピアノはどれくらいのペースでされています?」
「毎日です」
「え?毎日ですか?」
誠一郎は眉をひそめた。
「はい」
「お仕事のあとに?」
「はい、会社にレオタードとトゥシューズを持って行き、仕事が終わりましたらスタジオへ。その後、帰宅してから2時間ほどピアノの練習をし、土日は講師の先生がついてピアノのレッスンを」
多忙すぎるー
「忙しくありませんか?」
「いいえ、充実しております」
理緒は笑顔で答えた。
「今、疲れてはいませんか?」
「いいえ」
これも笑顔でキッパリ答えた。
「異型狭心症の発作は最近ありませんか?」
「お陰様で、ありません」
「あまりに多すぎる過密スケジュールは、ストレスの原因になりまし、異型狭心症も出やすくなります、少し、ピアノやバレエをお休みしないまでも、緩めてみてはいかがですか?」
「検討致します」
理緒の顔つきがほんの少し曇った。
「ええ、検討してみてください、では、今日は以上で。来月、この日にこれますか?」
「はい」
理緒が笑顔で会釈して診察室を出た。
誠一郎は、かなり確信を持った。理緒の「検討します」は絶対「検討しません」だー
どんなに優雅な生活をしても、とんなにバレエやピアノを習っても、彼女の鬱状態や、虐待のトラウマは全く治ってなどいない。誠一郎はそう確信した。
むしろ、これからだー

