ワインとチーズとバレエと教授

亮二はすんなり、誠一郎を部屋に入れてくれた。

独身の医者の社宅は簡素だと言うが、亮二の部屋もそうだった。

部屋は多少、散らかっているが、余計なものはなく
本棚にはびっしり専門書が詰まって、パソコンが開いてあり、亮二らしい部屋だった。

本棚には一部、理緒が置いていったバレエ雑誌が置いてあった。

確かに理緒はここに住んでいたー

「どうしたんだよ急に」

突っ立ったままの誠一郎を、食卓テーブルに座るよう勧め、亮二から切り出した。

誠一郎は素直な気持ちで

「こないだは、ホテルのラウンジで申し訳なかったと思う…あんな言い方をして、さらに全部あなたに
料金を支払わせて…」

「そんな水臭いこと言うなよ」

亮二は笑った。

誠一郎はそんな亮二の気遣いにも申し訳なく思った。

「突然どうしたんだよ。なんだ?オレと仲直りしたいとかそんな理由か?」

と亮二は笑って見せたが誠一郎は「あぁ」と素直に答えた。

それに亮二が驚いた。

「…こんなことを叔父であり、養父の亮二に言うのは恥ずかしいことなんだが…俺は彼女と真剣に付き合いたいと思っている。もちろん、亮二の家族だ。
適当に彼女と付き合う気は最初からなかった。

そして、彼女とできれば結婚したいと思ってる。

なのに、今まで彼女の面倒を見てきた亮二の気持ちを踏みにじって、失礼なこと言ったと思う。申し訳ない…

そして、もしよかったなら…
彼女と結婚してもいいだろうか…?」

誠一郎が改まって伝えたが、亮二はポカンとしたあと「プっ」と吹き出した。

「理緒にはもうプロポーズしたのか?」

「いや…」

「だったら先に理緒に言えよ!」

亮二は、あまりにかしこまった誠一郎を見て吹き出した。

誠一郎は

「まず、父親で、医学部同期の君からと思って…」

「お前らしいな」

亮二は、冷蔵庫をあけて、缶ビールを2つ取り出し1つを誠一郎に手渡した。

「結婚おめでとう、乾杯」

プシュッと缶ビールを開け、亮二はビールをゴクゴク飲んだ。

「あの、俺はまだ彼女にプロポーズしてないんだけど…」

「理緒の返事はOKだろうよ、オレもお前が理緒の側にいるなら安心だ、医者だしな、理緒を幸せにしてくれ」

そう言われ、誠一郎は少し安堵した。

ようやく、誠一郎も缶ビールを開けて飲み干した。

「ところで…なんでお前、理緒のことを好きになったんだ?」

亮二が涼しい顔で聞く。誠一郎は答えに戸惑った。

「実は彼女にも同じこと聞かれたんだ…
私の何が好きなのか?と…それで答えに戸惑った。
若いから、美しいから綺麗だから…、それもあるかもしれないが、でもそれ以上の何かを感じるんだ…
だけどそれが具体的に言葉に出てこない…

彼女は"私と俺が同じだ"と言ったことがあった。
その意味も、よく分からない…ただ、愛しているのは本当なんだ…」

亮二は真剣に聞いて、うなづいた。

「まぁ、どっちにせよ、理緒はお前を愛しているんだ。オレが結婚を反対する理由なんてないよ」

亮二は笑った。

誠一郎は父親に挨拶でもするかのように

「本当に俺でいいのか?」

ともう一度尋ねた。

「やめてくれよ!オレたち同期なんだからさ」

と亮二は笑ったが、誠一郎は亮二から、大切なモノを奪うことになることを、どこかで分かっていた。

「お前があんなに女性に対して、熱心に語るなんて驚いたよ、そんなに理緒が好きなら、理緒は幸せだろう」

亮二はビールを煽った。
誠一郎は、最もタブーなことをこれから聞こうとした。

「なんとなく、彼女と君の間を見ていると、普通じゃないものを感じる…外来での彼女の態度や、君を見ているとそう感じる…責めているわけじゃないんだ…」

誠一郎は一呼吸おいて

「彼女とは男女の関係に?」

誠一郎はズバリと聞いてきた。
亮二のビールを保つ手がピクッと 反応した。

「いや…まさか…」

と亮二が濁したが、声は上ずっていた。

「そんな関係に君たちが、なり得ることは想定している。そんなことは気にしていないよ」

と、うっすら誠一郎は、腑に落ちたかのように微笑んだ。

「なにもかもお見通しか…」

亮二はビールを煽った。

「さすが、伊達に精神科の教授はやっていないな。
でも彼女には、黙っておけ、知らないフリをしろ」

「それは分かっている」

誠一郎も、深くうなづいた。

「オレが彼女を壊したんだ。彼女の生活を、彼女の純粋な心を…」

亮二は、苦々し思い出をつぶやいた。

誠一郎は亮二の気持ちも分かっていた。彼女のような美しい子がそばにいたら、誰でもそんな感情は
沸くだろうことをー

ましてや、自分が育て上げて、どんどん美しく成長しバレエをやり、モデルをやり、どんどん世界が広がる 理緒に対して、この部屋で亮二が普通でいる方が難しかったのかも知れない。

また、当時は理緒も亮二に心を許したのだろう。

「恩」なのか「愛」なのか、それさえ分からず…

「俺も逆の立場だったら、同じことをしたかもしれない…君と彼女は、傍から見れば似合いのカップルに見えるよ…
二人の仲を、どうこう詮索する気はないんだ、ただ彼女を傷つけないよう、お互い仲良くやりたい。
そして同期だけど君は俺のお義父になる」

「やめてくれよ!オレは理緒の叔父さんのままでいい」

亮二がそう言って笑った。

それから、どうでもいい昔話が続き、懐かしい早苗の話や当時の誠一郎の失敗話など、亮二はよく覚えていることを話した。

そして最後に亮二が

「必ず理緒を幸せにしてくれ」

と誠一郎に言った。誠一郎は

「分かった」と答えた。

こればかりは必ず守らねばならないー
そう誠一郎は思った。

「あとな…理緒がお前のこと心配してたぞ…」

「…え?」

誠一郎はポカンとした。

何か心配させるようなことをしただろうか?

「俺たち2人のことは彼女に説明しておくよ」

きっと、亮二との関係が悪化したことだろうと誠一郎は思った。

「あぁ、そうしといてくれ …ただ、れだけじゃなく…」

「それだけじゃなく?」

「いや、お前のことだ、 誠一郎のことを心配している」

誠一郎は、意味がわからなかった。

理緒を心配させるようなことをしただろうか?
浮気を疑われているのか?
それとも他のことだろうか?

「理緒を心配させるな、それがオレの望みだ」

そのあと、ボソッと

「…オレもお前が心配だ」と亮二がいった言葉は誠一郎には聞こえなかっただろう。

「オレがやってきた以上に、理緒を幸せにしてやってくれ。オレができなかった以上に…それと、真理子姉さんには会わなくていい」

お姉さんとは、
加納真理子ー

理緒の母親であり亮二の姉だ。

「医者と分かったら金をたかる、その金は男に消える、理緒との縁は戸籍上も切らせた、姉さんに挨拶には行くな」

誠一郎はうなづいた。
そして二人はビールは煽った。

そのあと、 亮二の家から帰宅し誠一郎は理緒に

「明日、会えませんか?」

とLINEを送った。LINEはすぐ既読になり

「はい」

と返事が来た。

誠一郎は、一週間ぶりに、ようやく、周囲が落ち着きホッとしていた。