「…なんだ、お前か」
「"なんだお前か"はないでしょ?」
早苗は、誠一郎の隣になんの許可もなく座った。
理緒がキョトンとしている。
「初めまして、私は一橋早苗です。あなたが藤崎先生の彼女さん?可愛らしいわね」
早苗は微笑んだ。
「は、初めまして津川理緒です」
理緒がペコっと頭を下げた。
早苗がピクっと反応した。
「津川さん…?もしかして、津川先生のお嬢さん?」
「はい、津川先生をご存知なのですか?」
今度は早苗の方がポカンとしている。
「亮二の姪で今は娘さんだ…」
誠一郎は、ため息をつきながら早苗に言った。
「なに!?そうなの!?アンタが付き合ってる
カワイイお嬢さんって津川君のお嬢さん!?」
「だから、そうだと言ってるだろ!」
誠一郎は、めんどくさそうにため息をついた。
「そうだったの…理緒ちゃんよね?」
「はい」
「お父さんから理緒ちゃんの事はよく聞いているわ!クラシックバレエされているんですってね!」
「おい!」
誠一郎は、その話を止めさせた。
「…津川先生が、そんなことまで
皆様にお話ししているのですね…」
早苗は、理緒が「お父さん」でも「叔父さん」とも言わず亮二を「津川先生」と呼ぶことに、少し違和感を持った。
そして、理緒の表情が少し悲しげで、 曇った様に感じた。
「えぇ、自慢の娘さんだって同窓会の時に仰っていたわ。本当にキレイね!モデルさんもされたのでしょ?素敵だわ!」
「……いえ…そんな…」
理緒がなぜか嬉しそうではないことを早苗はすぐに察し話題を変えた。
「藤崎先生は優しい?ちゃんと大切にしてくれる?」
「おい、口を挟むなよ」
「いいじゃない」
早苗は笑った。
「あ、はい、大切にして頂いてます…」
理緒がもじもじ答えた。
「良かったわ、この人、一生、独身なんじゃないかって皆に言われてたけど、誠一郎、アンタに理緒ちゃんはもったいないくらいよ!」
「うるさいな、彼氏もいないお前に言われたくない」
「本当に嫌味な奴ね」
「本当のことだろ」
理緒は二人の会話をキョロキョロしながら見ていた。
誠一郎が誰かを「お前」と呼ぶところを初めて見た。
二人は親しい間柄の様だ。
でも、理緒は早苗のサバサバした態度から、嫉妬や心配は生まれなかった。
ただ、誠一郎の意外な一面を見た。
「……あぁ、この人は
一橋早苗、循環器の医者で、私や津川先生と同期の方だ」
誠一郎が早苗を紹介した。
「そうでしたか…津川先生がお世話になっております」
理緒が早苗に頭を下げた。
「いいのいいの!そんな、かしこまらないで!
今度、理緒ちゃんのバレエ見てみたいわ!」
「おい!」
誠一郎は怒鳴った。
「…バレエは、今は体調不良でお休み中なんです…」
「…あら、そうだったの…早く治るといいわね」
「ええ、そうですね」
理緒が笑って答えた。その顔はとても明るかった。
誠一郎は、そんな理緒の笑顔を見ながら、もう治る事も、バレエを踊ることもないと知っているので、
早苗にこの会話を、さっさと止めさせたかった。
「…あの、私、今日はこれで失礼します」
理緒が立ち上がった。
気まずいとか、不愉快とか、そういう訳では無い。
これ以上、自分がいると、誠一郎と早苗に気を遣わせる事が分かったからだ。
早苗が誠一郎と親しくても気にはしない。
早苗は、きっといい人だろうと理緒は直感で気づいた。
誠一郎が不機嫌だったのを見て、助け舟を出したように見えた。
「あなた、まだこんなに残っているでしょ?」
誠一郎が食べるよう促す。
「すみません、食べ切れず…」
「もう少し食べないと…家では食べてるんですか?」
「はい、大丈夫です」
誠一郎の静止を振り切って理緒が立ち上がった。
「やだ、私、お邪魔しちゃったかしら」
早苗が、申し訳なさそうに言う。
「いえ、違います、もう帰ろうと思っていたところでした…一橋先生、ありがとうございます」
「いえいえ」
理緒の「ありがとう」の意味も、早苗は理解しているようだ。
「今度は女二人でランチしましょ」
早苗は微笑んで言った。
理緒も「はい」と微笑んだ。
やはり、早苗はいい人のようだ。
「玄関まで送ります」
誠一郎も立ち上がる。
「いえ、大丈夫です」
「いえ、送ります、あなたを待たせた上、こんなことになって申し訳ない…」
誠一郎は、本当に申し訳なさそうな顔をしていた。
「いえ、いいんです、お忙しい中、ありがとうございます。一橋先生も、お会いできて嬉しいです」
理緒は丁寧にお辞儀をした。
「早苗でいいわよ」
「じゃ、早苗さん……ありがとうございます」
助けてくれてー
という意味で理緒が言った。
「えぇ、また会いましょうね」
早苗も誠一郎と一緒に病院の玄関まで理緒を送った。
「タクシーで帰ってください、歩いてはいけません」
「はい」
「また改めて連絡します」
「はい」
理緒がタクシーに乗るところを確認し、誠一郎は、手を振った。
理緒が軽く会釈した。その会釈も、どこか品格があった。
「ずいぶんと彼女に甘々ね」
早苗は、クスッと笑った。
「うるさいな」
「でも、まるで患者と医者みたいな会話ね」
早苗が鋭いことを言う。
「患者だったー」
「え?」
「彼女は俺の患者だった。亮二からの紹介でもある」
「え?そうだったの?疾患は何?」
「複雑性PTSDとアスペルガー症候群による過集中と
その影響の異型狭心症」
「……そうだったの…」
早苗は理緒が虐待されていた事実を亮二から聞いている。精神的な疾患が出るのは当たり前と感じていた。
「…それにしても、誠一郎、アンタ、父親呼ばわりされただけで不機嫌になって、彼女を困らせるのは
みっともないわよ」
「なんだよ、見てたのか…」
「彼女、困ってたわよ」
誠一郎は、ようやく早苗が邪魔しにやってきたのでなく、仲裁に入ろうとしたことを悟った。
「……亮二と一緒にされたくないんでね」
「なに?津川君に嫉妬?彼は善意で理緒ちゃんを
引き取ったのよ?アンタと立場が違うでしょ?
それに、彼女と結婚するなら津川君にも伝えなきゃ」
「あぁ、分かってるよ!でも、今、俺は亮二に会いたくないんでね!」
「なによ、さっきから津川君に…ケンカでもしたの?」
「彼女は、慢性疲労症候群なんだ…」
「…え?」
「もう、バレエは出来ない」
「…そうだったの…ゴメン、余計な事を言ったわ、
彼女に謝っておいてくれる?」
「聞いててヒヤヒヤしたよ、彼女が傷つかないか」
「…それは、ゴメン、私のミスね」
「だから、今ここの内科に受診している」
「そうだったの…」
早苗の表情は曇った。一般的な生活は難しい事を理解している。
だから、誠一郎は彼女にタクシーで帰らせたのかと
すぐに納得した。
「慢性疲労症候群を隠していたのは、亮二だー」
「…え?」
「おかげで、彼女は悪化した!精神科外来のときに
内科から知らされた。診断から一年も経過していた」
「…うそ…」
早苗は信じられないという顔をした。
亮二なら、どうなるか分かっていたはずだ。
「精神科に来ていた頃、彼女はバレエ漬けだった。過集中もあり、余計に悪化した。それを精神科で治療しバレエをあきらめさせるのに、どれだけ俺が大変だったか分かるか!」
誠一郎は怒鳴った。
「誠一郎…」
「…だから、今、俺が亮二と会うと、冷静でいられなくなりそうなんだ…もし、一年前に彼女に知らせていれば、バレエと仕事を止めさせて、安静にさせていれば、彼女はこうはならなかった…」
めったに感情を出さない誠一郎が、やり切れない表情で、苦しげに言った。
早苗は、誠一郎の背中を静かに撫でた。
もちろん、友情としてー
「…彼女のこと、本当に愛しているのね」
「……あぁ」
「アンタが、こんなに取り乱すなんて
初めて見たわ、父親と言われただけで、あんなに不機嫌になるし、バレエの話をしたら怒るし」
「大人げないと言いたいんだろ…」
「…違う…安心した」
「え?」
「アンタも人の心があって安心した」
早苗は切なそうに笑った。
「津川君とはいつか話さなきゃならない。
でも、彼女とは今日、話せる。彼女、ちゃんと理解してたわよ」
「何を?」
「私が気を回したことも、アンタと親しいことも」
「……だよな」
「彼女を大切にね」
早苗は誠一郎の背中をポンと叩いた。
誠一郎は、情けなく微笑んだ。
今夜、理緒のマンションへ行こう。
このままの状態にしておきたくないー
誠一郎は、早苗の気遣いに今更、感謝した。

