ワインとチーズとバレエと教授


誠一郎は、それから毎朝、理緒にLINEを送った。

理緒が不安にならないためと、生存確認も兼ねてだ。

理緒は、いつも通りすぐ既読がついて、

「おはようございます、今日もネットフリックスを見てゆっくり過ごします」

など、誠一郎を心配させないメールを送っていた。

誠一郎はそれを確認すると、朝から夜中まで仕事をした。

学会前は本当に忙しくなる。自分の大学で学会を引っ張って来るときは、もっと忙しい。

医局員の論文を読み、他の医者の論文にも目を通し
自分も論文を書く。

外来をやりこなし、医学部では講義をし、とにかく多忙だった。

だから、夜中に帰宅しても、理緒が寝ている時間なのでLINEは控えた。

あと、気になったので、内科の山本医師に理緒の状況を聞きに行った。

やはり、あまりリカバリーは上手く行っていない様子だった。

バレエが負担になっていたようで、
極めつけは、理緒がヤケになってバレエをやって
誠一郎の外来に来た頃ー

あの頃がピークに悪化したときで、今は現状維持が
精一杯だろうとの判断だった。

山本医師は

「津川さんは、もう精神科には
こられていないのですよね?」

と、精神科と縁が切れた理緒を心配する誠一郎を
不思議がった。

いつか、山本医師には話そうと思っていたが、今がそのタイミングだ。

「彼女はもう精神科を必要としなくなりました。その後、彼女と正式にお付き合いを…」

山本医師は驚いたが、

「そうでしたか、それで津川さんは、やたら最近
機嫌がいいのですね、あぁ、そういう事でしたか。
いや、津川さんも、いい旦那さんを見つけましたね」

「いえ、あの、結婚すると言ったわけでは…」

「でも、藤崎先生は、そのおつもりなのでしょ?」

「えぇ…まぁ…」

「藤崎教授が、適当に元患者さんと、お付き合いするとは到底、思えませんしね」

山本医師はどうやら誠一郎の性格をある程度、読み切っているようだ。

「それで、定期的に津川さんの体調報告をお聞きになりたいと?そういうことですね」

「えぇ…まぁ…そうです」

「それなら、そうと早く言ってくださいよ」

山本医師は笑った。

「すみません、この話は内密に…」

「大丈夫ですよ、患者さんと、そのご家族の
プライバシーは守ります」

「いえ、まだ家族ではないのですが…」

「同じようなものですよ、明日、ご結婚されるか、
来年ご結婚されるかの違いでしょ?」

山本医師は気が早い。

「それと、津川さんですが、精神科は問題ないですが精神疾患をお持ちだった患者さんは、比較的、余後は悪いです。

まだ治療を初めて半年とちょっとですし、急に回復はしないでしょう。小康状態が続き、数年後に回復するか、悪化するか分かる程度です。ですので、今は回復に専念してもらいたいのです。今後の生活を含め…それと、もしご結婚されるなら、まぁ、もう、されるでしょうが、妊娠はお勧めできません。
出産出来ても、その後、悪化すると思います」

「えぇ…それは、私も理解しています、ただ…」

「津川さんには、まだ何も話されていないのですか?」

「付き合い始めてまだ3ヶ月程度で、そこまでの話は…」

「そうでしたか、では、そろそろプロポーズも考えなければなりませんな。その時は私が是非、仲人を」

山本医師は本当に気が早い。

「津川さんには、私と話したことを伝えないで欲しいのですが」

「そこまでヤボじゃありませんよ
津川さんには、これまで通り
"何も聞かなかったように"接します」

「ご配慮、ありがとうございます」

「それと先生、津川さんをあまり、あちこち、連れ出さないようにしてください、体力の回復が遅れ、
免疫低下に繋がります。
言わなくとも、藤崎先生ならご存知でしょうが」

「えぇ、気をつけています」

「津川さんとしては、色々行きたい所もおありだと思いますが…藤崎先生、デートは毎回ホテルが良いかと…」

「山本先生…あの、私は彼女と急ぎたくないので
そこまでズバリと仰らなくても…」

「いいじゃないですか、津川さんは、早く先生との
進展を望まれていると思いますよ」

山本医師は笑いながら言った。

さすが第一内科を率いる教授なだけに、貫禄がある。というか、突っ込み過ぎというか…

「津川さんは、責任を持って私が診ます、藤崎先生は責任をもって、元患者の津川さんを愛して差し上げてください」

「…はい」

誠一郎は、内科を出ると、急いで精神科外来に戻った。少し、休憩しようと医局のコーヒーを飲みながら理緒との将来について考えた。

プロポーズ…?
結婚…?

もちろん、中途半端で、理緒と付き合うつもりはなかった。

亮二の手前、そんなことは出来ないし、自分も、そんな性格ではない。
もちろん、理緒が良ければ自分はいつだって…

いやいや、まだ付き合って3ヶ月ー
早すぎるだろ…

でも、理緒の身体を思うと、自分の手の届く範囲に置いておきたい。でも今はそれを考えていても仕方が無い。

誠一郎は残りのコーヒーを飲み干すと、仕事に戻った。

一週間後の学会は無事終わり、誠一郎の大学からも
論文受賞者が出た。誠一郎としては、まずまずの結果だった。

ようやく、ゆっくり出来そうだ。

でも、相変わらず理緒から、どこへ行きたいなどの
リクエストはなかった。

「先生が行きたいところへ」

理緒はそういった。

動物が好きなら水族館?いや、また理緒なら、はしゃいで歩かせる。
やっばりホテルでゆったり…温泉…いや、そこは早い気が…。
そう考えてネットで検索していると、とあるシティホテルでワインの試飲会とイタリアンシェフのアミューズが食べれる企画があった。

どうやら、有名なイタリアンシェフとソムリエのコラボらしい。

一人5800円。

まぁ、値段としても悪くない。

それに、理緒には、もう少し食べてもらいたかった。

「よし、これにしよう…」

誠一郎は、翌朝LINEで、このホテルの企画はどうか?と送信すると、理緒は

「わぁ、ありがとうございます!
喜んでご一緒させてください!」
と返事が来た。

次の土曜に、ホテルのロビーで11時に待ち合わせにした。

誠一郎も、ようやく、理緒と落ち着いて会えると思うと嬉しかった。