(ほら……やっぱり優しい)

 私を殺そうとする彼とは似ても似つかない。

 ここにいるのは紛れもなく、私の好きになった向坂くんだ。

 そう意識した途端、不意に喉が締め付けられた。

「……っ」

 足が止まる。
 ぽろ、と膨らんだ涙がこぼれる。

 私の震える呼吸に気が付き、彼が窺うようにこちらを見た。

「おい……。そんなに身体辛ぇのか?」

 涙に戸惑う彼に、違う、と答えようとしたのに声にならない。
 とめどなく涙があふれてくる。

 私は首を左右に振った。
 向坂くんを見上げ、揺れる視界に捉える。

「嬉しいの。今、凄く……。向坂くんが、向坂くんで」

 彼の目に戸惑いの色が浮かぶ。

 動揺や焦りを隠そうとするような、険しい表情になる。

「俺────」

 ここに来て、その態度に迷いが見えた。
 紡ぎかけた言葉の先が続かない。

 惑うような沈黙が落ちる。

 恐怖心なんて湧いてこなかった。
 やっぱり、殺意や悪意なんて微塵も感じられない。

 涙が止まった。
 息苦しさが抜ける。

 夕方に落ちていこうとする陽が注ぐ。

 川の水面にきらきらと光の粒が散っていた。



「向坂くん。……私、もう次はないんだ」

 思ったよりも落ち着いて言えた。

 彼は息を呑み、目を見張る。
 私は眉を下げ、笑みをたたえた。

「分かってるの。ループを終わらせるには、私か向坂くんが死ななきゃならないってことも」

 向坂くんは何も言わなかった。

 ただ、黙って私の言葉を聞いてくれている。

「でも、手遅れになる前にどうしても伝えたいことがあって────」

 私の声が寂しげな空に吸い込まれていく。

 風の音、水の音、そんなわずかな自然の音が静寂を埋め、穏やかな空気に包まれる。

 お陰で緊張も躊躇も、一切を捨て去れた。

「私、向坂くんが好き」

 一息で言いきった。

 次の瞬間、信じられないことに私は彼の腕の中にいた。



(え……?)

 突然抱きすくめられ、混乱に明け暮れる。

 頬に触れる髪がくすぐったい。
 回された腕は力強いのに優しい。

 背中に添えられた手も、触れたところすべてがあたたかかった。

「向坂、く────」

「……ごめんな、菜乃」

 向坂くんの声は弱々しく掠れ、私は尚さら戸惑うばかりだった。

 それでも、初めて名前で呼ばれたことに心臓が音を立てる。

 何だか切なくて、無性に苦しい。

 掌に触れた雪の結晶が溶けていくみたいだ。

 あまりに予想外の展開に、まだ夢を見ているのかと思った。

 でも、消えない確かな温もりをひしひしと感じられる。

 やがて向坂くんが腕をほどいた。
 焦がれるような眼差しを私に注ぎ、静かに言う。

「ぜんぶ話す。本当のこと」