「う……」

 彼は顔を歪め、傷を押さえた。

 思ったより深そうだ。
 ぼたぼたとあふれる鮮血が止まらない。

「蒼くん……!」

 駄目だ、このままじゃ。
 彼まで殺されてしまう。

「逃げて!」

 苦痛も忘れ、沸き立った恐怖心に突き動かされる。  
 必死で彼に叫んだ。

 こんなところで、こんなふうに死なせられない。

 はっとした蒼くんは、躊躇うように私を見た。

「でも────」

「いいから……っ」

 こんな緊迫した状況で自分の身に危機が迫ってもなお、私を気にかけてくれるなんて。

 その事実があるだけでも充分だ。

 今日、また“死”に追いつかれて負けてしまっても。
 “明日”、また蒼くんがすべてを忘れてしまっても。

 彼は惜しむような詫びるような視線を残し、地面を蹴って駆け出した。

 しかし、男は彼を追っていった。

 人を殺すことへの凄まじい執念にぎらついた目は、常軌を逸している。

 全身が粟立った。
 恐怖で凍てつくような気がした。

 ぐい、と襟を掴まれ、蒼くんが地面に引き倒された。
 すかさず馬乗りになった男が、包丁を振り上げる。

「駄目! やめて……!」

 叫ぶたび、傷口が疼いた。
 どろ、と血があふれていくのが分かる。

 当たり前だけれど、私の言葉は男に届かなかった。

 獲物と見なした蒼くん以外のすべてを無視している。

 意識の外側にあって、男にとっては“ないもの”に等しいのだろう。

 地面に手をつき、立ち上がろうとした。
 非力な自分には何も出来ないかもしれない。

 でも、目の前で蒼くんが殺されようとしているのに、黙って見ているなんて耐えられない。

 身代わりでも何でもいいから、とにかく彼を助けなきゃ────。

 その一心だったけれど、身体は言うことを聞かなかった。

 力が抜け、その場に倒れ込む。
 視界の端が触手のような黒い影に侵食されていく。

(嫌……。死にたくない)

 意思に反して動けず、気が遠くなっていく。

 刺された傷の痛みが辛うじて私の意識を現実に留まらせた。

 このまま死んだらどうなるんだろう?

 向坂くんに殺されたわけじゃないけれど、自分で死んだわけでもない。
 記憶は残るのかな……。

 答えなんて分からなかったけれど、それを試している余裕はない。

 結局、今日も死は避けられないんだ。
 蒼くんが手遅れになる前に、早く────。

「……っ」

 私は渾身の力を込めて舌を噛んだ。

 鉄の味が広がって気持ちが悪い。
 ちぎれるような鋭い痛みを気力でねじ伏せ、強く歯を立てる。

(蒼くん……)

 今日のことは忘れてくれていい。
 こんな結末、むしろ忘れた方がいい。

 だから、どうか死なないで。
 無事でいて。

 お願い、間に合って────。