裏庭まで来ると、蒼くんはようやく足を止めた。

 向坂くんが追ってきていないかどうか、私は心配すらしなかった。
 そう確信していたから。

 蒼くんの言う通りまた騙されているのかもしれないけれど、先ほどの向坂くんからは殺意を感じなかったのだ。

 少なくとも、先ほどは。

 手を替え品を替え、恐らくまたすぐに殺そうとしてくるだろうけれど。

「…………」

 信じたい思いや彼への期待と、研ぎ澄まされた警戒心の間で板挟みになっていた。

 どの感情を優先すべきかも分からずに、ただただ揺られている。

 くるりと蒼くんが振り向いた。
 呆れたようなため息をつく。

「菜乃ちゃんさ、気持ちは分かるけど(ほだ)されちゃ駄目だよ」

 彼の目には、私が向坂くんに丸め込まれそうになっているように映ったのだろう。

 そんなことない、とは言い返せなかった。
 実のところはそうだったかもしれないから。

 見たいように見ていただけだ。

 向坂くんはまた演技をしていたかもしれない。

「……ごめん」

 細い声で謝ると俯いた。

 蒼くんは困ったような顔をする。

 記憶をなくしても、この言葉は求めていないみたいだ。



「私、どうしたらいい……?」

 気付けば、口をついてこぼれていた。

 いったい、どうすればいいのだろう?

 時間がない。
 死は待ってくれない。

 目を背けることも拒むことも許してくれない。

 どうするべきか分からないのに、どうにかしなきゃいけなくて。

 焦りと不安が余計に冷静さを奪っていく。

 どうしたら、誰も死なずにループを抜け出せるの?

(どうしよう……?)

 そもそも、そんな結末が存在しなかったら。
 私の望むハッピーエンドなんてなかったら。

 以前に蒼くんと話していたように、私か向坂くんのどちらかが必ず死ななければならない運命なのだとしたら。

「…………」

 蒼くんは口を噤んだ。
 私に注がれていた眼差しが彷徨う。

「……現実的にはやっぱり、仁くんを殺すしか────」

 言いづらそうに口淀む。

 彼にとってははじめから、私が死ぬという選択肢はないんだ。

 私だって、自分が死ぬのは嫌だ。
 向坂くんを殺すのももちろん嫌だ。

 何度考えても、どちらも受け入れられない。

 でも、他に可能性があるのかな?

 もう簡単に死ねないのだから、悠長な理想なんて追っていられないのに。



 ────以前の向坂くんを取り戻したい、と思っていた。

 ちゃんと向き合えば結末は変えられると思っていた。

 そう信じることは、間違いだったのかな。

 諦めない、諦めたくない、って覚悟は、ただの意地だったのかもしれない。

 本当は最初から、選択肢は2つしかなかったのに、ありもしない希望を信じて、ただ決断を先延ばしにしていただけだったのかもしれない。