惑わされたくない。
 傷つくのも絶望するのももう充分だ。

 けれど────。

 “昨日”から、わずかな変化を感じているのも事実だった。

 保健室での向坂くんの態度が、すべて嘘だったとは思えないのだ。

 これまでは取り付く島もないようだった。

 何を言っても、何を聞いても、耳を疑うような残虐な答えしか返ってこなくて。

 でも、今は何だか違う。

 彼の感情の機微と方向が動き、少しだけこちらを向いたような。

 もう駄目なんじゃないかと、諦めそうになっていた。
 変わってしまった向坂くんには何も届かない、と。

 実際には少しずつ、彼自身も気付かないくらい少しずつ、響いていたのかもしれない。
 縋るような私の声や言葉が。

 もし、そうだったら────。

 私の死も、繰り返した日々も、無駄じゃなかった。
 ちゃんと意味があった。
 
(そう思いたいだけかな?)

 捨てきれない希望と願望が、物事を都合よく映し出しているだけかもしれない。

 でも、もう一度。
 心から彼を信じてみたい。

 それが出来ないせいで、結末を変えられないのなら。
 以前の向坂くんを取り戻せないのなら。

(私が怖がらずに信じれば……)



「────菜乃ちゃん」

 振り向きかけた私を、蒼くんが制した。

 咎めるような表情を浮かべている。

「騙されないで。こっち見て」

 そう言うと、私の手を引いて階段を下りていく。

 決して強い力じゃないのに、圧を感じてほどけない。

「……っ」

 それでも、つい振り返ってしまった。

 私の目に映った向坂くんは、どこか寂しげに見えた。