視界は霞んでいたが、それが蒼くんだということは分かった。
彼は傘立てから忘れ物の傘を引っ掴み、向坂くん目がけて思い切り振る。
それに気付いた向坂くんは私を離し、易々と躱した。
解放された私は立っていられなくなり、その場に崩れ落ちる。
思い切り息を吸い込むと、激しく咳き込んだ。
顔が熱い。血液中に一気に酸素が回る。
ばくばくと激しく脈打つ心臓の音が耳元で聞こえた。
「平気!?」
傘を放った蒼くんが私のもとへ駆け寄ってきた。
目眩と咳がおさまると、何とか頷いてみせる。
「……へぇ」
向坂くんがつまらなそうに呟く。
ポケットに両手を入れたまま、高圧的に私たちを見下ろしている。
「いつの間に味方なんて作ってたんだ?」
蒼くんは庇うように私の前に出て向坂くんを睨む。
「よく分かんないけど、目の前で殺されかけてる人がいたら助けるに決まってるじゃん」
記憶を失っても、蒼くんは私を助けてくれた。
それだけが唯一、このループでの救いだ。
「それとも何? もしかして初めてじゃないの? こんなことするの」
その言葉に反応したのは、向坂くんだけでなく私も同じだった。
核心を突くような問いかけだ。
蒼くんには記憶がないはずなのに、まさか今の向坂くんの言葉一つで気付いたのだろうか。
「……だったら?」
向坂くんに嘘をついたり誤魔化したりする気はさらさらないらしく、あっけらかんと開き直った。
「何か鬱陶しいし、お前のことも殺してやろうか?」
目的の邪魔をするなら蒼くんに手をかけることも厭わないようだ。
脅迫染みたそんな言葉を受けても、蒼くんは一切怯まなかった。
「思い通りにはさせないから」
強気に返すと、私の手を取る彼。
「行こう、菜乃ちゃん」
手を引かれながら駆け出すと、生徒玄関から飛び出した。
意識がぼんやりとして、何だか目の前の出来事に集中出来ない。
現実感をどこかへ置き去りにしたまま、流されるままに動いていた。
校外へ出ると、足を止めた蒼くんが後ろを振り返って確かめる。
向坂くんが追ってきていないことが分かると、そこからは速度を緩めた。
「大丈夫? 首、痛くない? 苦しくない?」
住宅街を歩きながら案じてくれる彼に「大丈夫」と小さく頷く。
赤く染まった私の首には、向坂くんの手と爪の痕がくっきり残っている。
具象化した彼の殺意だ。
私は震える手で首元に触れた。
本当に危なかった。
あと少しで殺されるところだった。
すべてがまた、振り出しに戻ってしまうところだった。
蒼くんが来てくれなかったら、と思うと、恐怖で全身が粟立つ。
「助けてくれてありがとう、蒼くん……」
「当然だよ。菜乃ちゃんが“助けて”って言ったんじゃん」