「……そう?」

 蒼くんはどこか腑に落ちない様子を残しつつも、それ以上追及してくることはなかった。

 不意に沈黙が落ち、教室のささやかな喧騒が耳に届く。

 3限にある小テストのために勉強している女の子。
 そのシャーペンが転がり、床に落ちる。

 面白い動画でも見つけたのか、嬉々として友だちとスマホを覗き込む男の子。

 ふと立ち上がって別の人にぶつかった拍子に、その人が手にしていた水がこぼれた。
 彼は申し訳なさそうに平謝りしている。



 どれも、なんてことはない日常の風景。

 ────なのに、私だけが取り残されている。

 浮かび上がった破線で切り取り、上から無理矢理貼り付けられたみたいに、何だか馴染めない。

「……ねぇ、何かあった?」

 眉を下げ、私を見やる蒼くん。

 彼はただ純粋に心配してくれているようだった。

 少なくとも私の目にはそう映ったけれど、確信を持ってそう言いきれないのも事実だ。

 もう、分からない。
 誰を信じていいものか。

 そして何より、不用意に巻き込めない。

 このループは、関わった人の色々なものを壊してしまうから。

 蒼くんまで殺されるかもしれない。

「大丈夫。何でもないよ」

 やんわりと突き放し、曖昧に笑う。

 それでも蒼くんは気付いているのだと思う。

 私の状況や状態が普通ではないということに。

「そっか……。でも、しんどかったら無理しないでよ。俺でよかったら何でも聞くし」

 そんな彼の言葉が、今は素直に嬉しかった。

 結局、一人で何とかしなきゃいけないことに変わりはなくても、寄り添ってくれる人がいるだけで心強い。

「ありがとう」

 小さく笑って告げた。
 笑うことが出来るとは思わなかった。

 蒼くんのくれる優しさと思いやりに、少しずつ私の心が溶かされていくのを感じる。



 4限終わりのチャイムが鳴り、昼休みを迎えた。

 今のところ何とか生き延び、命を繋ぐことが出来ている。

 私はなるべく一人になりたくなくて、教室を出ないようにしていた。

 そんなことをしたってどのみち殺されるだろうから意味はないのだろうけれど、せめて不安を紛らわせたかった。

 いつ向坂くんが乗り込んでくるかと怯えていたが、意外にも動きはない。

(余裕の表れかな……?)

 私などいつでも殺せる、とせせら笑っているのかもしれない。

 ずき、と不意に頭痛がした。

 それを皮切りに身体の不調が悪化してくる。

 深く息をついた。呼吸まで重く感じる。

 目覚めたときから続く頭痛や倦怠感は、未だにおさまる気配がなかった。

 ここまで続くということは、以前のように記憶が見せる単なる幻や気のせいではないのだろう。

 “昨日”も身体がしんどかった。

 すっかり食欲をなくし、私はそっと箸を置く。

「…………」

 じわじわと這い上がってきた冷たい不安感が、私にまとわりついて離れない。

(まさか────)

 一つのよからぬ可能性に至る。

 死を繰り返し過ぎて、身体が限界に近づいているのかもしれない。

 死んでも時間が巻き戻るから、ループする間は、私の命は実質無限だと思っていた。

 でも、実際には着実に寿命が削られている。

 このまま殺され続けると、いつかそのうち目覚められなくなるような気がする。

 本当に死んでしまうかもしれない────。

(……時間がない)

 早く何とかしなきゃ。
 ループにも命にも、リミットがある。

 時間切れになる前に、救いようのない結末を変えるしかない。