若旦那様の憂鬱〜その後の話し〜

柊生はそれを見て、急ぎ立ち上がり花と父の座る席に行く。

「初めまして。花の夫の一橋柊生と申します。こっちは息子の椋生です。」

母の一大事に何も知らずに、腕の中でスヤスヤと寝ている椋生を見る。

「…電話くれてありがとう。」
父は、突然現れた柊生に若干驚きながらも頭を下げる。

柊生はすかさず花の隣に座り、ハンカチを取り出し花の濡れた頬を心配そうな顔で拭く。

「…ありがとう…」
花が呟き、素直にハンカチを貰い涙を拭く。

「あなたが幼かった花に残した傷は、未だ疼き彼女の心に深く刺さったままなんです。
身体に残った傷跡も一生消える事はないでしょう。
だけど、これからの未来の為にここであなたと決別するべきだと、彼女の母親が提案してくれました。」

父は何も言わず、ただ頷く。

「僕は、心のどこかで、いつもあなたに怯えて生きる花を、少しでも救い出したいという思いで今日ここに連れて来ました。
彼女がもう、あなたに怯えなくていいんだと実感して欲しかったんです。
酷だと言う事は十分承知の上で言わせてください。
この先2度と会いに来ないと、ここで約束してくれますか？」

柊生は花に変わって、花の為に言葉を紡ぐ。

それは父にとってとても残酷な言葉だと分かっている。

どんなに傷つけられても虐げられても、優しい花にはなかなか言い出せない言葉だ。

多分、言葉にするだけで彼女の心は傷付くだろうと柊生には分かっていた。

酷だろうが、柊生にとっても花の父は最愛の妻を苦しめ続ける仇だ。

毎晩、悪夢を見てうなされる彼女を救いたい。その一心で、例え自分が悪者になっても今日、父に伝えようと思っていた。


「分かっている…。
もう、2度と会いに行く事は無いと約束する。今まで辛い思いをさせて悪かった。
花の幸せを遠くから思っている。」

少しの間の後、父が2人にそう告げた。

「最後に、会いに来てくれてありがとう。
今後も、少しの金だが、罪滅ぼしだと思って送り続ける事だけは許して欲しい。

…出来れば……その子の為に使ってくれたら本望だ。」

父はそう言って、潔く立ち上がり去って行く。

残された喫茶店には、優しいジャズの音色が流れ、事の成り行きを遠目で見守る数少ない常連客のみ。