「お願いします。 あとコーヒーも。」 「あいよ。」
俺はまたポットに水を入れて沸かし始めた。
 「マスターのコーヒーって渋みが無いんですよねえ。」 「沸き立つ前のお湯で入れてるからさ。」
「そうなの?」 「沸いてしまったお湯で入れたら渋くなるんだよ。 お茶だってそうだろう?」
「知らなかった。」 「お茶だって少し温めのお湯で出すと甘みが出るんだよ。」

 このシャッター街はその昔、さわやか商店街って愛称で呼ばれていた。
でも平成不況の煽りで店がどんどん潰れていった。 いろんな店が在ったのに、、、。
残ったのはうちとラーメン屋と歯医者だけだ。 どうなるのかねえ?
 左側にはカラオケ喫茶 ウサギと亀が在ったんだ。 二階でやってた店でね。
いろんな歌が頭の上から降ってくるんだぜ。 上手かろうが下手だろうが、、、。
ここのママはおしゃれが好きな人で、ブレスレットとか香水は欠かさなかった。
そんでもってうちのケーキを食べてくれていた。 あの匂いは嫌だったけど、、、。
 そのママも入院してしまって店は閉店した。 そして誰も来なくなった。
そしたらさあ、マスコミ連中は【忘れ去られた商店街】って言いやがったんだよ。
お前たちが潰したような物なんだけどさ。

 夕方になると今度は女子大生とか仕事帰りの人たちがやってくる。 飲み屋ほどではないけれど、寄ってくれる人たちは居る。
ケーキを持って帰る人も居るから予約を受けて作り置きをしておく。 もちろんモンブランなんかは買って済ませておくけどね。
たまにね、子供を連れて食べに来る奥さんたちも居る。 気の合う友達が居るからさ。
ちょいうまのほうもこの時間になると客が増えてくる。 もちろん、いきなり閉まってることも有るから毎日とは言えないが、、、。
それでさ、そこの親父さんに聞いてみたんだ。 「仕込みは何時くらいからやるんだ?」ってね。
「そうだなあ、、、。 5時にはもう始めてるよ。 豚骨なんて何時間もかかるからさ。」 「じゃあ、ガス代もとんでもないことになるねえ。」
「そうだ。 コンロもでかいし長く使うから5万でも足りるかなあ、、、。」
朝から仕込みをして10時には店を開ける。 そのまま夜遅くまでラーメンを作り続けてる。
今は息子も手伝ってるらしいけど、娘は美容師だって言ってたね。
 うちか? うちはねえ、もうすぐ娘が専門学校を出るんだ。
調理師になって帰ってくる。 そしたら軽食も出せるようになるかもねえ。
でもやっぱりケーキで勝負したいなあ。

 「マスターさあ、プリンアラモードとかはやらないの?」 サラリーマンの一人が聞いてきた。
「一応、メニューには載せてあるよ。 作ってないけどさ。」 皿を洗いながら俺は答えた。
「じゃあ、作ってよ。 食べたいから。」 「いきなり言われても出せないよ。 用意が大変なんだから。」
「じゃあ作れないんじゃない。 作れないのにメニューに載せてるなんてあんた詐欺だよ。」 「何だと? もう一回言ってみろ。」
「だからさあ、あんた作れないのにメニューに載せてるんでしょう? だから詐欺だって。」 「お前は出禁だ。」
「ああ。 こんな店なんか誰が来るかって。」 「黙って聞いてりゃそのざまか。 情けねえ男だな。」
男は金も払わずにささくさと出て行った。 「どうしたの?」
奥から心配そうな顔で清美が出てきた。 「心配するな。 頭の悪いやつが居たから追い返しただけだ。」
「プリンがどうのって聞こえたけど、、、。」 「アラモードを出せないなら詐欺だとか何とか言ってきやがったんだよ。」
「確かに最近は作ってないわよねえ。」 「注文が来ないからな。」
 「こんばんは。」 そこへ一人の男が入ってきた。
「いらっしゃい。」 「あんたさあ、何やらかしてくれてんだ?」
「何がです?」 「俺のだちを出禁にしたそうじゃないか。」
「ああ、あの男ね。 文句でも有るんですか?」 「あんたが一方的に摘まみ出したって言うじゃないか。」
「は? 詐欺だの何だのって騒ぐから帰ってもらっただけだけど。」 「嘘吐け! あんたが追い出したんだろう?」
「まあまあ、カメラも何も無いんだからさあ、言ったの言わないのって騒いでも水掛け論にしかならないんだ。 おとなしく引っ込んだほうがいいと思うなあ。」
「てめえ、ふざけるんじゃねえよ!」 「あんまり騒ぐなよ。 目の前は交番なんだ。 呼ばれたらえらい迷惑だぜ。」
「貴様ーーーー!」 激怒した男は殴りかかってきた。
「ダメダメ。 俺さあ、柔道やってたんだよ。 投げてやろうか? それとも寝技が言い?」
腕を掴まれた男はゴキブリのようにもがいている。 「もがくくらいなら喧嘩するなっての。」
腕を軽く捻ってやると男は悲鳴を上げながら退散していった。

 「悲しい世の中だねえ。」 隅でケーキを食べていた初老のおじさんがポツリと言った。
「若い連中は批判することだけは一人前なんですよ。 言ったらどうなるなんて考えない。 だからダメなんだ。」 「でもなあ、、、。」
「昭和の世だったらあんなことは言わなかった。 ただの揚げ足取りですよ。 蹴り落してなんぼだと思ってる。」
「そうなのか。」 「大学病だね。 やつも大学に行ってたんじゃないのかなあ?」
「大学に行ったのが悪いのか?」 別の男が口を挟んだ。
「行ったのが悪いとは思わない。 大卒で立派にやってる人もたくさん居るからね。 だけどそれを笠に着るなってことだよ。」
「ああ、なるほどねえ。」 「マスターは大学には行ったの?」
「俺は定時制だったよ。 親父も稼げなくてねえ。」 「夜間化。 大変だったな。」
「それでケーキ屋を?」 「いやいや、最初はコーヒーが飲みたくてこの店を始めたんだ。」 「コーヒーをねえ。」
「でもね、それだったらケーキの一つくらい作れなきゃダメだって先輩に言われて、、、。 それで教えてもらったんですよ。」 「それでチーズケーキを?」
「こいつは俺が好きなやつでね。 これならやれるって思ったんですよ。」 「他のやつは?」
「もちろん、エクレアだってムースだって作りますよ。 注文が入ればね。」 「そうなんだ。 じゃあこれからはたまに頼むよ。」
「ありがとうございます。」 俺は騒動が終わって初めて水を飲んだ。

 夜、閉店間際の店に一人の女性が訪ねてきた。 「こんばんは。 閉店間際でも大丈夫ですか?」
長い髪を結んだ可愛らしい人である。
「物にも寄りますが、、、。」 「チーズケーキを、、、。」
「ああ、それなら一つ残ってます。 残り物でもいいですか?」 「初めてなんですけど、チーズケーキが美味しいって聞いたものですから、、、。」
「ありがとうございます。 これを目当てに来る人は多いんですよ。」 女性は椅子に座るとタブレットを取り出した。
「ケーキの写真を撮らせてもらってもいいですか?」 「いいけど何か載せられるんですか?」
「スイーツ関係のブログを書いてるんです。 横浜に住んでるんですけど、千葉にも美味しい店が在るぞって教えてもらったものですから、、、。」
「そうなんだ。 おい、ショコラも持ってきて。」 「え? ショコラも?」
「こういう印象のいい人には食べてもらいたいんだ。」 「分かった。」
 女性は自分のページを開くと何か書き始めた。
「琴美のスイーツブログって言います。 良かったら覗いてみてください。」
彼女に渡された名刺をしげしげと見詰める俺、、、。
 琴美さんは写真を写し終わるとチーズケーキを食べ始めた。 「レアチーズですね?」
「そうです。 自家製のこだわったやつですよ。」 「そっか。 それで癖が有るんだ。」
「何か?」 「固さといい、味の深さといい、独特だなと思ったので、、、。」
「ブロガーはやっぱり見る目が違うなあ。」 「そうですか? 私はただの素人ですよ。」
「素人が一番怖いんだ。 はっきり言うからねえ。」 「そうかなあ?」
「業界人は相手に気を使って本当のことは言わないんだよ。」 「そうなのか。」
琴美さんはコーヒーを飲みながら考え込んでいる。 「このコーヒーもこだわってますね?」
「分かるんだ?」 「あの渋みが無いから。」
彼女はそれからしばらくコーヒーを舌の上で確かめながら飲んでいる。 二度三度と目を閉じてうっとりしている。
 清美はそんな彼女の姿を見ながらテーブルの拭き掃除をしている。 「おいおい、帰ってからにしろよ。」
「いいですよ。 気を使わないでください。」 琴美さんはショコラにも手を伸ばした。
「これはたぶん、買ってきたケーキかな?」 「分かります? 前のケーキ屋で作ってるやつです。」
「うーん、こんな間に合わせも売ってるんだ、、、。」 彼女はブログを書きながらケーキに目を落とした。
「ごちそうさまでした。 閉店前にごめんなさい。 次はもっと早く来ますね。」 「またどうぞ。」
静かにドアを閉めて帰っていく彼女の後姿を見ながら、俺は入れておいたコーヒーを一気に飲み干した。