「凄い味方がついていたんですね」

「今でもそれは持ってるぞ。まぁ、情けない話だけどな」

 その一件があってから、しばらくは女性との交際すらできなかったが、少しずつのリハビリを繰り返した。出会いと別れも何度も行ったし、その中には恋愛に発展したものもあった。

「先輩は……、今は?」

「ああ、結婚もしたし、子供もいるぞ」

「よかったです……」

 5年前に俺は入籍をした。あの出来事から少しずつ立ち直りつつある中で出会った彼女は、いつも俺を励ましてくれていた。

「美香はどうなんだ? 昔と名字が変わっているな」

 ふとネームプレートを見て気づいた。

「私もずいぶん遅れて、去年ようやく結婚できました。私もあのときの判断が本当に良かったのか分かりません。あのままだったら、大学を出たときに結婚できていたはずでした」

 俺も分かっていた。数年前に、あのバレンタインの時、前日に美香から本命を渡されていたという後輩から結婚の報告をもらったとき、そこにいたのは美香ではなかったからだ。

 聞けば、ここに来るまでの回数は俺より多かったようだ。

「まぁ、仕方ねぇよ。でもよく言うじゃないか。初恋は実らないって」

「ほんと、そうでした。あの時は、何だったんだろうって思うこともありました。私から告白しておいて、自分でお別れを言っちゃったんですよね」

「お互い若かったってことだ。キツかったけど勉強もしたよ」

 店の片づけが終わり、俺たちは二人で店の扉から出て鍵を閉めた。

「でも、ようやくつかえが取れました。あの……、連絡先とか聞いてもいいですか?」

「さっき、問診票に書いたぞ?」

「あれは……。個人的に聞いたものじゃないので……」

 昔の俺だったら、すぐに教えていただろう。



「ごめんな。やめとく。それより、美香が選んだ今の旦那さんと幸せになれよ」

「はぃ……」

 この年になって昔の恋人の悲しむ顔は見たくなかったが、仕方のないことだ。

 経緯(いきさつ)はどうあれ、お互いに家庭のある身になっている。騒動の種は作らない方が賢明だ。

「もし、俺たちにそういう運命があるなら、またどっかで会える。その時には教えてやるよ」

「先輩、堅くなりましたね」

「バカ言え、俺は昔から堅い」

 20年ぶりに美香と二人で笑った。

 これでいい。あの時に俺が消えていたら、こんなことは絶対に出来なかったのだから。

「今日はありがとうございました」

「それは、お店のことか? プライベートか?」

「どっちもです。お大事に……。これからもお元気で……」

 あのとき、俺の中での混乱も少し落ち着いてから、それでも手紙や電話は迷惑になると、結局言えなかった言葉。

「美香、ありがとう。元気でな。さよなら」

「はい。ありがとうございました。さようなら」

 お辞儀をした美香の顔には、光る筋があったが、もう笑顔だった。

「遅くまで悪かったな。それじゃ」

 俺が初めての出会いをして、長い間保留し続けた、初めての「さよなら」だ。

 先に車に乗り込んで、駐車場を出る。

 バックミラーを見ると、美香はまだ駐車場にいてこちらを見ていた。

 戻るべきか? そんな葛藤もよぎる。

「いや……。これでいい……」

 この判断が本当に正しかったのか。もし、答えが出るのなら、再び何かの運命に導かれたときだろう。

 フロントガラスにポツポツと落ちてきた水滴をワイパーで取り去りながら、家路へとアクセルを踏み込んだ。