「僕と結婚してください。」

海の見えるレストラン。

その中でもとびきり夜景が綺麗に見れる席。

僕は恋人の前に跪き、深紅のリングケースを開いた。

彼女は顔を手で覆い、涙を流した。

「っ…よろしくお願いしますっ。」

涙で濡れた彼女の薬指に0.2ctのダイヤのリングを通した。

「…夢じゃないよね?ちゃんと現実だよね?」

僕は、泣きじゃくった声で見上げる彼女の頬を抓り

「痛い?」

首が取れるんじゃないかと思うくらいに頷く彼女を見て、僕は言葉にできないほど愛おしく感じた。

でも、こんな幸せは長くは続かなかった。


「もう歩くことは出来ないでしょう。」

僕の目の前に座る医者は静かにそう告げた。

────ALS(筋萎縮性側索硬化症)。

それが彼女の病名だった。

初めは手足の筋力が弱まり、次第に全身へと広がっていく。

呼吸や歩行が出来なくなっていく病だ。

彼女はもう既に自力での歩行が困難な状況になっている。

「ごめんね。一ヶ月前にこんなことになっちゃって。本当にごめん。」

ベッドに横たわりながら謝る彼女の手を握り

「君のせいじゃない。だからこれ以上謝らないで。」

「…こんなんじゃ出来ないね、結婚なんて。」

「頼むから…そんな事言わないでくれ。」

僕達は結婚式を一ヶ月前に控えていた。

彼女はそれを気にしてここ最近ずっと落ち込んでいる。

僕は気にしないでと声をかけることしか出来なかった。

無言が流れる病室。

彼女が口にした言葉は、

「ごめん、結婚辞めようか。」

あまりの衝撃に僕は何も言えなかった。

「だってこんな奥さん嫌でしょ?介護とか迷惑でしょ?あなたには仕事だってある。なのに私の世話までやらないとなんて負担をかけすぎちゃう。私はあなたの足でまといでしかないの。こんな私なんかと結婚しても幸せな生活なんて送れないよ。だから…。」

「嫌だよ。僕の世界で一番大切な人を手放すなんて僕にはできない。…出来ないんだよ。」

こんなことを言っているが、内心は不安でいっぱいだった。

確かに彼女の言う通りだ。

仕事と介護を両立させることは簡単では無い。

でも、今の僕にとってはそんな事どうでもよかった。

ただ彼女と一緒に居られればそれが幸せだった。

その一言を僕は口に出すことが出来なかった。

彼女の幸せを考えたら、何も言えなかった。

「ごめんね。今日は帰って欲しい。一人で考えたいの。」

僕はまた来るとだけ告げ、病室をあとにした。

帰りの電車の中、僕はある記憶を思い出していた。

いつか話したお互いの夢の話。

「私の夢はね、真っ白なドレスを着る事。それであなたと誓いのキスをしたい。あなたが少し屈んで私に言うの。愛してるって。それが夢。」

「もうすぐ叶うよ。真っ白なドレス着せてあげる。だから僕の傍を離れないで。死ぬまで約束。」

そういえばこんな会話したっけな。

なんで忘れてたんだ、こんな大事なこと。

僕は途中で電車を降り、走って病院へ引き返した。

どうしても今伝えたかった。

伝えなきゃいけないと思った。

なんでもっと早くに言えなかったんだ。

病院に着くと、面会ギリギリの時間だった。

病室の前で深呼吸をし、丁寧にドアをスライドした。

「っどうして。」

僕は耐えられず、彼女を抱きしめた。

「伝えたいことがあった。このまま聞いて欲しい。」

僕は抱き合ったまま話を続けた。

「いつか夢の話をしたのを覚えてるか?あの時僕の夢の話はしなかったろ。僕の夢はな、君と死ぬまで一緒にいることだ。それでお互い笑い合って暮らしたい。僕の幸せは君だよ。僕は君が傍に居てくれさえすれば幸せなんだ。僕の幸せに君の病気は関係ないんだ。僕はどんな君でも愛し抜くと心に誓っている。プロポーズしたあの日からね。これから先どうなるかなんて分からないけどさ、二人でいれば幸せになれると思うんだ。だからさ挙げようよ、結婚式。僕が叶えるよ、君の夢を。だから君は僕の夢を叶えてよ。」

僕は彼女の顔を見てもう一度告げる。

「僕と結婚してください。」

彼女の顔は涙でびしょ濡れだった。

でもそんな顔でさえ今は愛おしい。

きっとこれから先何十年経っても愛おしく思うだろう。

「本当に私でいいの?」

「君がいいんだよ。」

数秒間無言が続き、彼女が出した答えは───。


開始を告げるチャイムが鳴り、大きな扉が開く。

そこに現れたのは、純白のドレスを纏った愛する人。

彼女は両親に支えられながらバージンロードを歩く。

僕の目の前にいる彼女はこの宇宙の何よりも美しい。

「では、誓いのキスを。」

僕はベールを捲り、少し屈んだ。

そして、彼女の唇にキスをし、屈んだままこう伝える。


「愛してる。」