実際に練習は厳しかった。更に全国から優秀な選手が集まり、彩が果たせなかったインハイ出場経験者も何人もいて、選手層は厚かった。


高校時代は主将であり、チームの主力だった。彩にはその自負も自信もあったが、「井の中の蛙」という言葉の意味を実感させられる日々。


「彩、大変だね。」


「すまんが、その生活は俺には出来んし、やりたくもない。」


大学は違ったが、共に都会暮らしを始めた香田遥と町田浩人には、同情され、呆れられた。


それでも彩は、諦めることはしなかった。


(ここまで来たら、自分の力の限界まで、絶対にやり抜く。)


そう決心していたからだ。


部活の休止期間は7月の3週間と年末を含めた1月中。要は試験期間だ。結局、彩は大学在学中、帰省は年末年始の数日しかしなかった、いや出来なかったという方が正しい。


毎年送られて来た、高校弓道部のOB会の通知にも、ただ欠席の返事を送り返すだけだった。部関係者以外の大学の友人、知人はほぼ出来ず、こちらにいる高校時代の友人たちとはLINEや電話での交流がメインにならざるを得なかった。


こりゃ、たまらんと言わんばかりに、部を去ったり、弓道サークルに移籍する面々もいたが、彩にそれに同調するつもりは、全くなかった。


その努力は、やがて実を結び、3年生になると、一軍と通称されるチ-ムの主力の次に位置するクラスのメンバ-の一員となり、公式戦出場メンバ-にも何度も選ばれた。結局、就職活動を挟んで、4年生の12月に引退するまで、彩は部活動を完走したのだ。


(やり切ったなぁ、弓道は。もう思い残すことはない。これからは趣味の1つとして、弓に触れて行こう。)


引退の日、仲間たちの多くが涙を見せる中、彩は晴れやかな笑顔だった。


それから、卒業までの約4ヶ月が、かなり遅まきながら、彩が短いキャンパスライフを満喫出来た時間となった。既に卒業に必要な単位の取得は、ほぼ終えていた彩は、バイトや友達との交流に時間を費やすことが出来たのだ。そして卒業旅行では、4年間、苦楽を共にした仲間たちとアメリカ西海岸を旅した。


(本当に充実した4年間だった。)


卒業式の日、彩は心からそう思い、感謝の気持ちと共にキャンパスを後にした。