レヴィアが子どもを望まない理由。
 それは、暗闇の中にいると猫に変身してしまう呪いのせいだった。

 大昔、この世界には動物に変身できる人間たちが存在した。
 しかしある時代、動物に変身できる能力は【呪い】とされ、呪いもちは周囲の人々を不幸にすると迫害されるようになる。

 そうして数を減らし、御伽話だけの存在となったはずだった。
 皆がそう思っていた。

 暗闇の中で眠っていた十歳のレヴィアが、突然猫になるまでは――

 のちの調べで、ディファーレ家の血筋に猫の呪いをもった者がいたことが分かった。

 呪いは、血によって子孫の誰か一人に受け継がれていく。
 厄介なのは、忘れた頃に呪いが子孫に現れる点だ。そういう意味では、レヴィアはハズレを引いたことになる。

 呪いを断ち切るためには、子を産まず、血筋を自分で終わりにするしか方法はない。

 レヴィアは迷った。
 そして出した結論は、呪いを彼女の代で終わらせることだった。

(呪いのせいで、私の子どもや子孫が苦しむのは嫌)

 彼女が結婚条件に子どもを求めないとあげていたのは、呪いを後世に残さない為だったのだ。

 暗闇の中にいると猫になってしまうのだが、満月の時でも猫になるので、案外呪いによる暗闇判定は緩い。

 猫になっても自分の意思で人間に戻れるのだが、猫になった時点で服が脱げてしまうため、何も考えずに人間に戻ると大変なことになってしまう。

 諸々の事情で、レヴィアは暗闇の中に身を置かないよう、出かけるときにはいつも小さなランタンや蝋燭を用意し、寝るときは猫にならないように常に小さな光を灯すなど、気をつけていたのだが――

(まあ、今回は仕方ないわ。きっとニーナが気づいて、いつものように上手くやってくれるだろうし、ちょっと散歩に出てみようかしら?)

 ニーナとは、ディファーレ家にいた時からレヴィアに仕えてくれた侍女であり、呪いについて知っている数少ない人間だ。

 住み慣れた故郷を離れ、レヴィアに付いてきてくれたニーナには、感謝してもしきれない。

 長年、猫の呪いと付き合ってくれたニーナならば、この状況を一目見れば、全てを察してくれるだろう。

 嫁いできて初めての冒険にワクワクしながら、レヴィアは窓から外に飛び出した。

 周囲を見ると、屋敷の一部に明かりが灯っているものの、その殆どは闇に沈んでいる。使用人たちも、一部を除いて休んでいるのだろう。

(猫は夜目が利くから便利ね)

 そんなことを考えながら、レヴィアは尻尾をピンと立てながら歩き出した。涼しい風が身体を撫でてとても気持ちいい。

 静寂の中を自由に動き回っていると、まるで世界を独り占めしているような高揚感が湧き上がる。

 猫の呪いは忌むべきものではあるが、慣れると普段人間が立ち入れない場所にも行けて、結構楽しい。

 暫く歩いていると、明かりのついた部屋を見つけた。
 それを見て、レヴィアは首を傾げた。

(あの部屋は確か、セイリス様の執務室だったはず。領地に戻られたのかしら?)

 だが、夫が戻ってきた報告は聞いていない。

 ということは、レヴィアが寝室に引っ込んだ後に帰ってきたのだろう。
 そして帰宅が知らされなかったということは、レヴィアが目覚める前に発ち、戻ってきたこと自体知られないようにするためかもしれない。
  
 セイリスが自分に望むのは、お飾りの妻。
 会ったとしても、挨拶を交わす程度の相手だ。

 いつもなら必要以上の関わりを持たないように引っ込んでいるのだが、夜のテンションもあってか、あの氷壁夫が何をしているのかが無性に気になった。

(ちょっとぐらい覗いてもいいわよね?)

 好奇心が押さえられなくなったレヴィアは、執務室の窓へ音も立てずに忍び寄った。

 *

 部屋は予想したとおり、セイリスの執務室だった。というのも、カーテンが開いたままの窓から夫の後ろ姿が見えたからだ。

 執務机の上に書類を広げ、時折頷いたり、何かを書き加えながら、一枚一枚念入りに確認をしている。

 やはり、レヴィアが休んだ後に戻ってきたのだろう。

(それならそれで、一応声くらいかけてくださったらいいのに)

 お飾り妻とはいえ、妻は妻。夫の帰りも知らず、眠りこけているなど妻失格だ。

 ムッと唇を尖らせたつもりだが、いかんせん、今は猫。尖らせる唇などないことを思い出すと、しゅんっと尻尾が垂れ下がった。

(まあセイリス様がお戻りになったことは分かったし、これ以上ここにいても、意味はないわね)

 あまり情報を知りすぎては、うっかり口を滑らせてしまう恐れがある。
 皆が不審に思うことは避けたい。

 立ち去ろうとしたとき、

(っっっ‼)

 突然窓の方を振り返ったセイリスと、バッチリ目が合ってしまったのだ。

 固まるレヴィア。このまま逃げるべきだと理性は言うが、目の前の光景がそれを許さない。

 影がこちらに近づき、ガチャっと窓が開く。
 部屋の光を背に現れたのは――

「黒猫か、珍しい。何か餌を用意してやろう」

 そう言って満面の笑みを浮かべる、氷壁の侯爵様の姿だった。