「はっ?」

 セイリスの言葉に、レヴィアの目が点になった。
 
「あ、あの? 一体どういうことでしょうか? お互い、呪いを後世に残さないため、子は作らないというお話だったのでは?」
「知らないのか? 呪いが継承されるのは、相手が普通の人間、もしくは同じ動物の呪い持ちだった場合だけだ。それ以外なら呪いは打ち消され、子孫に受け継がれない」
「えっ? えええええええええええ⁉」

 突然の新事実発覚に、大声を上げてしまうレヴィア。
 あまりにも驚いた表情をしていたのだろう。セイリスの笑い声が、闇夜に吸い込まれていく。

「とはいえ、呪いを持っている者は皆、口を閉ざしているからな。探すのは容易ではない。それも愛する人が呪い持ちという確率ともなると、奇跡としか言えない」

 フフッと肩を振るわせながら、セイリスは夜空を見上げる。

「この世界に神がいるのなら、その神はよほどハッピーエンドを好むようだな」
「そ、そのようですね……」

 こればかりは、レヴィアも同意せざるを得なかった。苦笑いを浮かべながら、そっとセイリスの顔を盗み見る。

 グラソンを相手するように、すっかり感情を表に出してくれるようになって嬉しい反面、彼の何気ない姿に、心臓の高鳴りが抑えられなくなっている自分がいる。

(養子を取る必要がなくなったと仰られたってことは……私との子を求めていらっしゃるってこと……よね?)

 呪いという障害は無くなったが、二人が黙っていれば、本来の予定通り養子を取ることも出来る。なのに、わざわざセイリスが口に出したということは、まあそういうことなのだろう。

(でもまあ……セイリス様がそう求められるなら……)

 耳の辺りが、炙られているように熱くなる。

 出会った時には恐怖の対象でしかなかったというのに、これほどまでに自分の心が変わってしまうとは。

 惚れた弱みとは、このことだろう。

(そういえば先ほどセイリス様は、『愛する人が呪い持ち』と発言されたけれど、いつ私を好きになってくださったのかしら?)

 アイルバルト家に嫁ぎ、猫になって彼に会いに行くまでは、必要最低限の関わりしかもっていなかった。しかしこれまでの彼の発言を思い返すと、嫁いできた時点で彼はレヴィアを好いていたことになる。

 だから、互いの利害が合致したからと嫁いできたレヴィアに迷惑をかけないよう、自分の気持ちをずっと封印し続け、レヴィアの前で氷壁を貫いてきたわけだが。

(じゃあ八年前かしら?)

 しかしセイリスがディファーレ家で世話になったのは、ほんの数日。

 好意を抱くには、時間が少ないような気がした。まあ人を好きになるのに、時間はあまり関係ないのかもしれないが。

「あ、あの、セイリス様?」
「どうした」

 空を見上げていたセイリスの視線が、レヴィアに向けられる。相変わらず、レヴィアを抱きしめる腕の力が抜ける気配はない。

「あなた様が私を、あ、愛してくださっているのは分かりましたが……一体いつから? 八年前、私があなた様を救った時も、アイルバルト家に嫁いだ時も、あまり接点はなかったと思われますが……」

 それに今思えば、グリスタ卿から救ってくれたのも、運が良かったと片付けて良いのかと疑問が湧く。

 ああ、それか、とセイリスは呟くと、瞳を細めた。
 楽しそうに口角を上げながら、種明かしを始める。

「簡単だ。あなたに救われアイルバルト家に戻った後も、ちょくちょくディファーレ家に行き、あなたの様子を見ていたからだ」
「……え?」
「元々は、あなたに直接礼を言うつもりで行っていたのだが、どうしても言い出せなくてな。次こそは礼を言う、次こそは……と思い、ディファーレ家を何度も訪れ、あなたの色んな一面を見ているうちに、な」

 ポカンとなるレヴィア。
 金色の目を瞬きながら、セイリスに訊ねる。 

「……えっと、どうやって家の様子を見ていたのですか? 竜の姿でも人間の姿でも、家の周囲をウロウロしていたらバレます……よね?」
「竜の幼体になっていたから問題ない」

 どうやらセイリスは、竜の幼体にも自由に変身できるようだ。
 レヴィアの記憶の中に、以前窓から自分の部屋を覗いていた白いトカゲが蘇った。

 まさか――

「ええっと……以前、私の部屋の窓に、白いトカゲをみたのですが、それももしかして……」
「ああ、あれは私だ。あなたがきちんと休めているのか、どうしても気になってな。でも、あの一度だけだ。昔、ディファーレ家に通っていることをグラソンに知られたとき、『他人の家を覗くな!』と酷く怒られてな……私は見守っているだけだと言ったんだが、一緒だと言われたのが今でも納得いかん」
「は、はぁ……」

 返答に困ってしまうレヴィア。たが彼女の困惑に気づくことなく、セイリスが得意げに笑う。

「しかし、ディファーレ家の身辺調査だけは続けておいて良かった。ギリギリではあったがお陰で、グリスタ卿からあなたを救うことができたのだから……ん? どうした、レヴィア?」

 唖然としているレヴィアに、夫の不思議そうな視線が向けられる。妻の異変を別の意味でとったセイリスから慌てて、着替えなどそう言った類は誓っても見ていない、と釈明されたが、

(そ、そういうことじゃなくて……いえ、まあそれも問題だけれど!)

と、レヴィアは心の中で頭を抱えた。

 本当に、分かっていないのだろうか。

 アイルバルト家の当主が、ストーカー行為をしていたことの異常性を……

(グラソンさんが怒るのも、無理はないわ……)

 執事の心労を思うと可哀想になってきた。

 きっとこれも、心を開いた相手との距離感がおかしくなる弊害の一つなのだろう。グラソンが忠告した理由が分かった気がした。まあ、本人には全く伝わっていないようだが。

 だが、そのお陰でレヴィアと家族は救われたのだ。

 怒りたい気持ちもあるが、それと同じくらい感謝と許したい気持ちがあり、心の中が非常にモヤモヤした。

 これが惚れた弱みなのかと、ため息が出る。

 そして思う。

(私は……トンデモない人の妻になったのでは?)

 と――

 しかし、気持ちが表に出てしまったのだろう。

 セイリスの顔が、グッと近付く。

「確か私の妻で居続けることに、二言はないと言っていたな? 今更後悔したって遅いからな?」
「こ、後悔なんて――きゃあっ‼」

 喉から出かかった反論の言葉は、急に横向きに抱き上げられたことで、発する機会を永遠に失ってしまう。

 グラリとバランスを崩し、咄嗟にセイリスの首にしがみついたレヴィアの耳元に、吐息がかかった。

「今から楽しみだな? あなたと私の間に、どんな子が産まれるのかが」

 熱を帯びた声色で囁かれ、全身の血が顔に集中した。さらに首筋に顔を埋められ、思いっきり吸われてしまう。

 恥ずかしさのあまり、レヴィアは両手で顔を隠してしまった。
 もう夫の顔が直視できない。

(やっぱり……トンデモない人の妻になってしまったかも……)

 すっかり溶け去った氷壁の下にある、受け止めきれない愛と重すぎる執着を感じながら、これから始まる新たな結婚生活に、底知れぬ不安を抱くレヴィアだった。
 

 この後、まんまとセイリスの寝室に連れ込まれ、身も心もドロドロに溶かされてしまうのは、また別のお話。

<了>