「私の……姿ですか?」
言っている意味が分からなかった。
あの頃は貧しくて大変だった時期だ。そんな中で、彼は何をレヴィアに見いだしたのだろうと不思議に思う。
だが、セイリスの視線は揺るがない。
真っ直ぐにレヴィアを見つめる。
「正直、私がディファーレ家で保護されていた期間は、数日ほどだ。だがその短い間だけでも、あなたがどれだけ家族のために、領民のために身を粉にしているのかが分かった。それに貧しさからくる不満を弟妹から受けながらも、あなたはいつも笑ってこう答える姿が、印象的だった」
赤い瞳が、スッと細くなった。
「『生きていれば、きっと良いことがある』と、拳を握って熱弁する姿が」
「お、お恥ずかしい……です……」
恥ずかしくなってレヴィアは顔を伏せた。スカートの生地を握る手には、変な汗がかいている。
あの頃のレヴィアは必死だった。
家を守れるのは自分だけ。そんな自分が心を折れてしまえば、たちまち家族の心はバラバラになってしまう。
あの言葉は、生活に不満を言う幼い弟妹に向かってだけではなく、自分自身に向けた言葉でもあったのだ。
決してくじけぬようにと――
「恥ずかしいなど、思ってもいない。あなたの言葉には、相手を安心させ、元気にする力があった。あなたの自信に満ちた姿は、笑顔は、いつもあなたの家族や、人々に力を与えていた。もちろん私にも――」
セイリスの表情に変化はない。だが、レヴィアをとらえて離さない瞳は、纏わり付くような熱を帯びているように思えた。
「解放された私は、アイルバルト家に戻ることを決めた。生きていれば、きっと良いことがあると笑う、恩人の言葉を胸に。残念ながら、両親や周囲の壁は取り除けなかったが、グラソンという心を許せる友を得た。そして、アイルバルト家をさらなる発展へと導くことができた」
ここでセイリスは一度言葉を切ると、深々と頭を下げた。
「ありがとう、レヴィア。今、私がこうして居られるのは、あなたのお陰だ。本当は、あなたを妻として迎え入れたその日に、伝えるべきだったのだが……」
「そ、そんなことっ! 頭を上げてください、セイリス様っ‼」
レヴィアは慌てて立ち上がるとセイリスの側に寄り、彼の身を起こした。そして身を屈め、赤い瞳と目線を同じにすると、安心させるように微笑んでみせた。
「私こそ、ありがとうございました。グリスタ卿から私を救ってくださって……それにディファーレ家まで。本当に感謝しております」
「あなたから受けた恩に比べれば、金で解決できるような些細なものだ。それにあなたは言っていただろう? 白いトカゲは珍しいから、いつか恩返しに来るかも、と」
「わ、忘れてください……」
再び過去の恥ずかしい発言を掘り返され、レヴィアは頭を抱えて俯いた。どれだけ、自身の恥ずかしい発言や行動を見られていたのだろうと思うと、頬に熱が上がる。
俯くレヴィアの頬に、温かいものが触れた。
セイリスの手だ。
ハッと顔を上げると、彼の瞳が苦しそうに細められていた。
眉間には、皺が寄っている。
嫌な予感がした。
「私は竜の呪いもちだ。望めばいつでも竜となり、人に害なす存在になれる。私の両親や周囲はそれを恐れ、私を遠ざけた。あなたも恐ろしいはずだ。身の危険を感じているはずだ。そんなあなたに、妻という立場を強要したくはないし、恐怖を押し殺しながら生きるあなたを見たくはない。だから――」
彼の唇が、ギュッと結ばれた。
レヴィアから視線を外し、頭を下げる。
「私と……離縁して欲しい」
発された言葉は、レヴィアの心に深く突き刺さった。目の奥が熱くなった。下瞼に堪った熱が、涙となって溢れ出る。
セイリスの優しさが辛かったのだ。
きっと今まで、両親や周囲の人々から、酷く恐れられてきたのだろう。
だからレヴィアも同じだと思った。そして、侯爵夫人という立場を簡単に放り投げられないレヴィアのことを考え、自ら離縁を口にしたのだ。
(あなた様は……お優しいから)
そして同時に悔しくも思った。
勝手に話を進めるセイリスに。
そして優しい夫を、ここまで追い詰めた自分の不甲斐なさに。
レヴィアは怒りにまかせて立ち上がった。勢いが良かったせいか、俯いていたセイリスが顔をあげ、こちらを見上げる。
しかしレヴィアは構わなかった。
テーブルの上にあったランタンを手に取ると、不安を宿す彼の赤い瞳を見下ろしながら、口を開いた。
月が雲に隠れ、ランタンの光だけが二人を照らす唯一の光となる。
「セイリス様、実は私も……隠していたことがあったのです」
「えっ?」
「だからもし……あなた様が私の秘密を知り、恐怖や嫌悪感を抱くようであれば、どうか迷わず離縁をお選びください」
「私があなたに恐怖や嫌悪感を抱くなどっ‼」
セイリスが腰を浮かせ声を荒げたが、レヴィアは答える代わりに、ランタンの火を吹き消した。
辺りが真っ暗になった。
「……レヴィア?」
呼び声が聞こえ、レヴィアは脱げてしまった服の間から顔を出した。
雲に隠れていた月が顔を出し、再び辺りを淡い光が照らし出す。
セイリスは立ち上がり、周囲を見回していた。その表情には焦りが見える。そして、一歩踏み出した時、靴に当たったレヴィアの衣服を見て、大きく目を見開いた。
服の間から顔を出している黒猫と目が合う――
「お前は、レヴィアの飼い猫? いや……」
金色の目をジッと見つめながら、名を呼んだ。
「レヴィア?」
レヴィアは服の間から抜け出すと、フルフルと体を振った。
そして驚きで目を大きく見開く夫を見つめ返しながら、
ニャア
と一つ鳴いた。
言っている意味が分からなかった。
あの頃は貧しくて大変だった時期だ。そんな中で、彼は何をレヴィアに見いだしたのだろうと不思議に思う。
だが、セイリスの視線は揺るがない。
真っ直ぐにレヴィアを見つめる。
「正直、私がディファーレ家で保護されていた期間は、数日ほどだ。だがその短い間だけでも、あなたがどれだけ家族のために、領民のために身を粉にしているのかが分かった。それに貧しさからくる不満を弟妹から受けながらも、あなたはいつも笑ってこう答える姿が、印象的だった」
赤い瞳が、スッと細くなった。
「『生きていれば、きっと良いことがある』と、拳を握って熱弁する姿が」
「お、お恥ずかしい……です……」
恥ずかしくなってレヴィアは顔を伏せた。スカートの生地を握る手には、変な汗がかいている。
あの頃のレヴィアは必死だった。
家を守れるのは自分だけ。そんな自分が心を折れてしまえば、たちまち家族の心はバラバラになってしまう。
あの言葉は、生活に不満を言う幼い弟妹に向かってだけではなく、自分自身に向けた言葉でもあったのだ。
決してくじけぬようにと――
「恥ずかしいなど、思ってもいない。あなたの言葉には、相手を安心させ、元気にする力があった。あなたの自信に満ちた姿は、笑顔は、いつもあなたの家族や、人々に力を与えていた。もちろん私にも――」
セイリスの表情に変化はない。だが、レヴィアをとらえて離さない瞳は、纏わり付くような熱を帯びているように思えた。
「解放された私は、アイルバルト家に戻ることを決めた。生きていれば、きっと良いことがあると笑う、恩人の言葉を胸に。残念ながら、両親や周囲の壁は取り除けなかったが、グラソンという心を許せる友を得た。そして、アイルバルト家をさらなる発展へと導くことができた」
ここでセイリスは一度言葉を切ると、深々と頭を下げた。
「ありがとう、レヴィア。今、私がこうして居られるのは、あなたのお陰だ。本当は、あなたを妻として迎え入れたその日に、伝えるべきだったのだが……」
「そ、そんなことっ! 頭を上げてください、セイリス様っ‼」
レヴィアは慌てて立ち上がるとセイリスの側に寄り、彼の身を起こした。そして身を屈め、赤い瞳と目線を同じにすると、安心させるように微笑んでみせた。
「私こそ、ありがとうございました。グリスタ卿から私を救ってくださって……それにディファーレ家まで。本当に感謝しております」
「あなたから受けた恩に比べれば、金で解決できるような些細なものだ。それにあなたは言っていただろう? 白いトカゲは珍しいから、いつか恩返しに来るかも、と」
「わ、忘れてください……」
再び過去の恥ずかしい発言を掘り返され、レヴィアは頭を抱えて俯いた。どれだけ、自身の恥ずかしい発言や行動を見られていたのだろうと思うと、頬に熱が上がる。
俯くレヴィアの頬に、温かいものが触れた。
セイリスの手だ。
ハッと顔を上げると、彼の瞳が苦しそうに細められていた。
眉間には、皺が寄っている。
嫌な予感がした。
「私は竜の呪いもちだ。望めばいつでも竜となり、人に害なす存在になれる。私の両親や周囲はそれを恐れ、私を遠ざけた。あなたも恐ろしいはずだ。身の危険を感じているはずだ。そんなあなたに、妻という立場を強要したくはないし、恐怖を押し殺しながら生きるあなたを見たくはない。だから――」
彼の唇が、ギュッと結ばれた。
レヴィアから視線を外し、頭を下げる。
「私と……離縁して欲しい」
発された言葉は、レヴィアの心に深く突き刺さった。目の奥が熱くなった。下瞼に堪った熱が、涙となって溢れ出る。
セイリスの優しさが辛かったのだ。
きっと今まで、両親や周囲の人々から、酷く恐れられてきたのだろう。
だからレヴィアも同じだと思った。そして、侯爵夫人という立場を簡単に放り投げられないレヴィアのことを考え、自ら離縁を口にしたのだ。
(あなた様は……お優しいから)
そして同時に悔しくも思った。
勝手に話を進めるセイリスに。
そして優しい夫を、ここまで追い詰めた自分の不甲斐なさに。
レヴィアは怒りにまかせて立ち上がった。勢いが良かったせいか、俯いていたセイリスが顔をあげ、こちらを見上げる。
しかしレヴィアは構わなかった。
テーブルの上にあったランタンを手に取ると、不安を宿す彼の赤い瞳を見下ろしながら、口を開いた。
月が雲に隠れ、ランタンの光だけが二人を照らす唯一の光となる。
「セイリス様、実は私も……隠していたことがあったのです」
「えっ?」
「だからもし……あなた様が私の秘密を知り、恐怖や嫌悪感を抱くようであれば、どうか迷わず離縁をお選びください」
「私があなたに恐怖や嫌悪感を抱くなどっ‼」
セイリスが腰を浮かせ声を荒げたが、レヴィアは答える代わりに、ランタンの火を吹き消した。
辺りが真っ暗になった。
「……レヴィア?」
呼び声が聞こえ、レヴィアは脱げてしまった服の間から顔を出した。
雲に隠れていた月が顔を出し、再び辺りを淡い光が照らし出す。
セイリスは立ち上がり、周囲を見回していた。その表情には焦りが見える。そして、一歩踏み出した時、靴に当たったレヴィアの衣服を見て、大きく目を見開いた。
服の間から顔を出している黒猫と目が合う――
「お前は、レヴィアの飼い猫? いや……」
金色の目をジッと見つめながら、名を呼んだ。
「レヴィア?」
レヴィアは服の間から抜け出すと、フルフルと体を振った。
そして驚きで目を大きく見開く夫を見つめ返しながら、
ニャア
と一つ鳴いた。