唐突な夫の問いかけに、レヴィアは首を傾げながら答えた。

「え? 特に何もありませんけど、何か困っているように見えましたか?」
「いや、あなたの態度が以前と変わったとグラソンが言っていて。もしかすると、困っていることを私に何か言えずにいるせいかと」
「ええっと……」

 思わず口ごもってしまう。
 夫の発言の裏が、手に取るように分かってしまったからだ。

 わざわざグラソンを出し、さもレヴィアが困っているから手を差し伸べた感を出しているが、こう聞きたいのだろう。

 レヴィアの態度が変わってしまったのは、自分が何かしたせいなのかと。

(やっぱり……気付かれてしまうわよね……)

 あれだけあからさまに避けていたのだ。
 隠されたティーカップの存在すら気付く夫が、気づかないわけがない。

 気にしてくれることが嬉しい反面、どう答えて良いのか迷ってしまう。裸で抱きしめられて、意識しまくっているからとは口が裂けても言えない。

 だから誤魔化すしかない。

「お気遣い頂き、ありがとうございます。《《色々と重なってしまい》》、セイリス様に誤解を与えたこと、お詫びいたします。ですが私は今の生活に、何一つ不満も困りごとももっておりません。よろしければまた休憩の際、ご一緒させて頂ければ嬉しいです」
「そうか」

 満面の笑みを浮かべながら答えると、案の定、レヴィアから視線を逸らしたままのセイリスが、定番の相づちを口にした。

 とりあえず、誤魔化せたようだとホッとする。まあ誤魔化したとは言え、今の言葉にも嘘はないのだが。

 ふと、今が良いチャンスなのではと思う。

(ご自身をバケモノと呼ぶこと、そしてそんな自分に愛されて私が困ること――その根底にある問題を少しでも知れたら……)

 意を決し、レヴィアは口を開いた。

「あの、セイリス様。一つお聞きしたいことがあるのですが……」
「なんだ?」
「セイリス様とご両親はその……あまり仲がよろしくないのですか?」

 猫になったときに聞いた発言をそのまま尋ねるわけにはいかないので、別の切り口から攻めてみることにした。

 セイリスの表情は変わらない。
 ただ返答に、少しだけ時間がかかった。

「私はあまり両親と関わりを持たずに生きてきた。だからその分、親子の関係性も淡泊なのだろう。それが何か気になるのか?」

 よくあることだと言わんばかりの返答だったが、何か気になるのかと訊ねられ、レヴィアはさらに踏み込んだ。

「その……親子のご関係性が淡泊というよりも、ご両親がどこかセイリス様に遠慮しているように感じるのです」
「遠慮?」
「遠慮という言葉も少し違いますね。強いて言うなら……恐れているような」

 発言した瞬間、踏み込むべきではない場所に踏み込んでしまったのだと後悔した。
 
 セイリスが、初めてレヴィアの前で大きく表情を変えたからだ。

 あの氷壁の侯爵が、赤い瞳を見開いている。
 そして薄く開いた唇を、僅かに震わせている。

「あ、あの……立ち入ったことをお聞きして、申し訳ございません!」

 慌てて謝罪すると、セイリスの表情が氷壁に戻った。
 いつもと変わらないはずなのに、いつも以上に心の内が感じられなくてレヴィアの心が不安になる。

「私たち親子の関係が、あなたに迷惑をかけることはない。だから何も気にする必要はない」
「わ、分かりました……」
「そろそろ戻ろう」
「はい。では戻る支度をいたします」

 本当なら、もう少しここで過ごす予定だったのに、余計なことを言ってしまったせいで、二人の時間を台無しにしてしまったことを深く後悔する。

 彼のあんな表情を見るくらいなら聞かなければ良かったと、深く深く後悔する。

(セイリス様が気にかけてくださった嬉しさで調子にのって……あの方の傷に無神経に触れてしまった……)

 こんなことになるなら、今までどおりで良かった。
 猫になった自分に笑顔を、本音を告げてくれる、そんな以前の関係で――

 そこまで考え、ようやく気付く。

(あなたにもっと近付きたかった……猫でしか向けられないあの笑顔を、言葉を、本当の私の前でも向けて欲しかったんだわ……)

 だが今さらそれに気づいてどうなるのだろう。
 
 胸の奥が苦しくなる。
 呪いのせいで、誰かを愛することなど、誰かに愛されることなど、とっくの昔に諦めていたはずなのに。

 泣きそうになりながらも、それを表に出さぬように唇に力をこめた。そして広げていたものを手早く片付け立ち上がったとき、場の空気が変わったことに気付いた。

 今まで聞いたことのない夫の低く、緊張感に満ちた声色が、空気を震わせた。

「……お前たちは、何者だ」