(あー……毎日、こんなにのんびり過ごしてていいのかしら……)

 窓から夜空を見つめながら、長い黒髪の女性――レヴィアは落ち着かない気持ちを抱いていた。金色の瞳が、夜空の星の光を映している。

 ここは彼女の寝室。

 広い部屋の壁は明るい色で装飾されており、置かれている家具ひとつをとっても、細かい彫刻がなされた一級品だ。

 中央には、一人で寝るには大きすぎる天蓋付きのベッドが置かれているし、部屋の奥にあるクローゼットには、一体いくつ体があると思っているのか? と疑問を抱くほどの量のドレスが詰まっている。
 
(貧乏実家とは大違いだわ……)

 自分が身に着けている寝衣の布を摘まみながら、大きなため息をつく。レヴィアが実家で着ていた服の布は、この寝衣よりも劣っていたのを思い出したからだ。

 今、自身が置かれている場所がどれだけ豊かであるかを、そして以前置かれていた場所がどれだけ貧相だったかを、嫌というほど思い知らされる。

(あの時、背に腹は代えられないと求婚を受け入れたけれど、こんなにのんびりさせて頂いていいのかしら? セイリス様は、一体何を考えて私を妻に迎えたのかしら……)

 没落貴族の自分――それも結婚に際して無茶すぎる条件を出していた自分を娶った夫――セイリス・アイルバルトの冷たい表情を思い出し、レヴィアはまた大きすぎるため息をついた。

 *

 レヴィアは、ディファーレ伯爵家の一番上の娘として生まれた。

 ディファーレ家は爵位こそは伯爵ではあるが、祖父の代から没落の一途を辿っている貧乏貴族で、早くに亡くなった母に代わって、領主である父が、レヴィアを含む五人の子どもたちを育ててくれた。

 しかし父も、ディファーレ家を立て直そうとしていた無理がたたって病気になり、最年長であるレヴィアが、父に代わって必死に家を取り仕切っていた。

 彼女が結婚適齢期を迎えると、見目が良いからと様々な貴族たちから求婚があった。だがレヴィアは、結婚にあたって一つの条件をあげる。

 それは、自分に子どもを求めないこと。誰の子であっても、産む気はないと言い切ったのだ。

 彼女があげた条件は、血のつながりに重きを置く貴族社会ではあり得ない内容だった。

 きっと身体に何か問題でもあるのだろうと噂され、求婚者は潮が引くようにいなくなった。

 彼女自身も、無茶な条件をあげていることは承知していたため、結婚などとうの昔に諦めていた。かといって、結婚もしない自分がいつまでもディファーレ家に居座るわけにもいかない。

(やっぱり、修道院に入るしかないわね……)

 家族の反対を押し切り、修道院に入る準備をしていた二十三歳のある日、事件が起こる。

 昔、父が世話になったというグリスタ伯爵が、借金のカタとしてレヴィアを所望したのだ。伯爵は、彼女の父からさらに二回りほども年上の男性――というか老人。

 父が言うには、伯爵の言う借金は、過去に援助という形で貰った金だったらしい。
 
 だが相手側はそれを借金だと主張し、父が見たこともない借用書を突きつけながら、今すぐ返済しろと迫った。

 もちろん、没落必須な貧乏貴族にそんな大金を用意できるわけがない。

 時間をかけて必ず返すという父の申し出も空しく、レヴィアは無理矢理連れていかれそうになった。

 そのとき、

「ディファーレ家の借金は、こちらで肩代わりしよう。代わりにレヴィア嬢を貰いうけたい」

 そう言って、突然一人の男性が応接間に乱入してきたのだ。
 
 初めに目を引いたのは、揺れるたびに艶を放つ金色の髪。
 金色の中で揺らぐ赤い瞳。

 眉目秀麗という表現が、世界一似合う男性だった。

 スラッとした長身は、黒いロングコートで覆われていて、上着を脱ぐ間もなくこちらにやってきたことが窺えた。

 こんな田舎の土地では決してお目にかかれない存在の登場に、誰もが言葉を失った。

 そんな中、真っ先に男性の美しさから正気に戻ったのはレヴィア。掴まれていた手を振り払うと、金髪の男性に向かって叫んだ。

「わ、私を妻にとおっしゃるのですか? その代わり、借金を全て肩代わりしてくださると……」
「それだけでなく、ディファーレ家の援助もする」
「しかしっ、私は結婚に際し条件を……」
「もちろん、それも承知したうえでの提案だ」

 赤い瞳がスッと細められ、レヴィアを射貫く。

「……あなたさえ、よければ」

 心の内を感じさせない冷然とした声色。表情も涼やかを通り越して、まるで仮面でもつけているかのように動かない。

 普通なら表情によって伝わってくる相手の気持ちが、全く伝わってこない。

 ――怖い。

 人間性が感じられない相手に、本能が恐怖を覚える。こちらを見つめる赤い瞳は、まるで自分を値踏みしているかのように鋭い。

 目の前の男性をレヴィアは知らない。

 面識のない相手から借金の返済や実家の援助を申し出られるなど、裏があるのでは、という不安が過る。

 だが、

(父に難癖を付け、私を連れて行こうとする相手よりもよっぽどましだわ)

 どちらにしても彼の申し出を受けなければ、レヴィアは別の男のところへ連れて行かれてしまうのだ。ならば、と両手を強く握ると、真っ直ぐに相手の鋭い視線を受け止めた。

「なります、あなた様の妻に!」

 こうしてレヴィアは、名も知らぬ男性――侯爵家のセイリス・アイルバルトへ嫁ぐことが決まったのだった。