「でも、菜乃。彼のことは本当に無視してればいいから」

 一拍置いて理人が言う。

「だから、もう気にするのはやめよう。彼の話はこれでおしまい」

 いつもと同じ優しい表情。優しい声色。

 それなのに、もう二度と向坂くんの名を出すな、というような圧を感じる。

 先ほど垣間見えた冷たい一面から、理人に対する違和感のようなものが急速に膨らんでいく。

 ────でも、何も聞けない。何も言えない。

 また先ほどのようになったら、と思うと何だか怖い。

 違和感も恐怖も、気のせいだと思いたかった。

 しかし、植え付けられた強烈な印象がそうさせてくれない。

「……分かった」

 小さく笑んで頷いた。

 上手く笑えてたかな……?

 理人は満足そうに微笑み、私の頭を撫でる。

 なぜか、いつもの温もりを感じることは出来なかった。



「…………」

 カーテンを見つめ、部屋の真ん中で立ち尽くす。

 窓から覗いて、また向坂くんがいたらどうしよう。

 想像しただけで、背筋がぞくりとする。

 素早く脈打つ鼓動を感じながら、私は緊張気味に窓辺へ歩み寄る。

 恐る恐る窓の外を見下ろした。

「!」

 ……いた。

 向坂くんが、昨日と同じところに。

「……っ」

 目が合いそうになって、私は慌ててカーテンを閉めた。

 呼吸が、指先が、震える。

(なんで……。何で? 何で?)

 何でいるの?

 何で執着するの?

 向坂くんの目的は何……?

 心臓が重たい拍動を繰り返す。手足の先がどんどん冷えていく。

 息が苦しくなった。

 まるで、首を絞められているみたいに────。

「理人……」

 思わずスマホを手に取って、はたと思い出す。

『だから、もう気にするのはやめよう。彼の話はこれでおしまい』

 彼には拒絶されたのだ。

 理人にはもう、向坂くんの話をすることは出来ない。

 そのことでは頼れない。

「どうしよう……」

 どうしたらいいんだろう。

 誰か、助けて……。

 底の見えない恐怖で不安定になった心が揺れる。

 真っ青な顔で泣きそうな自分が、スマホの液晶に反射していた。

 私は部屋の電気を消し、ベッドに潜った。

 布団を頭から被り、震えながら目を閉じる。

(お願い、もう……。早くどこかへ行って)

 近くに潜む向坂くんの気配に怯えながら眠りについた。