男は少女を一瞥したあと、握りしめた手をぐいっと引っ張り、立ち上がる。

楽しそうにニヤリと笑いながら少女を連れ出していく。


「あ、あの! どこへ!」

「庭を見せてやろう。そこの庭よりもずっと広い場所だ」


糸のように細く、艶やかに輝く男の髪。


その髪に少し隠れた横顔に少女は頬が熱くなるのを感じた。

しばらく歩くと庭の光景が切り替わっていく。

広く大きな見渡せる庭が現れる。


松の木、石畳の道、流れる水、木の橋。

隅々まで洗礼された光景に少女は目を見開き、驚いていた。

男の手に引かれ、庭を歩いていく。

橋を渡ると水の中には錦鯉が泳いでおり、少女が覗き込むと鯉は寄せるようにして集まってきた。

少女はただ子供のようにはしゃいでいた。

それを見て、先に歩いている男が足を止め、少女に振り返る。

反対の手で少女の髪に触れると、目を細めて妖艶に微笑んでいた。


「美しいであろう」

「はいっ! それはとても」

「なら良いことだ。さて、私はまだそなたの名を聞いていなかったな。名はなんという?」


その言葉に少女は足を止める。

しばらく互いに向き合っていたが、次第に男は眉間に皺を寄せていく。

少女は困惑した目で男を見つめた。


「……私に、名はございません」

「名がないだと?」

「はい。名をつけてもらう前に両親は亡くなりました。養父からも名前をもらっていません。ずっと"名無し"と呼ばれておりました」


少女は淡々としながら話していく。

まるで他人事のように話す姿を見て、男は眉間にシワを寄せて聞いていた。

少女が話し終えると、沈黙が流れた。

いつまでも口を開かない男を前に、少女は口角をあげて困ったように笑った。

ようやく男も口を開く。


「……そなたは怒らないのだな」

「怒る?」

「いや、いいんだ」


首を傾げる少女をみて、男は眉間にシワを寄せると、少女の肩に手を回し引き寄せる。

白檀の香りに包まれ、少女は男の胸でそっと目を閉じる。

少女の胸が針で包まれているかのようにチリチリと痛んだ。

それから二人が言葉を交わらせることなく、少女は抱きしめられていた。