○梨穂の部屋(朝)
その翌日、梨穂は規則的なアラーム音で目を覚ました。
手を伸ばしアラームを止め、体を起こしながらうーんと腕を伸ばす。
それと同時にバンッ!と、梨穂の部屋の扉が開いた。
澪美「あねぇっ、おっはよー!」
梨穂「……澪美、朝から元気だね……おはよう。」
澪美「ふふんっ、澪美はあねぇを守らなきゃいけねーんで元気なのだ!」
梨穂「その言葉遣い、一体どこから学んだの……。」
梨穂は半ば困りながら、ベッドを降りて身だしなみを整え始める。
髪のセットをしている時にも、梨穂の妹である中二である澪美は梨穂に抱き着いていた。
梨穂「……そろそろ離れてくれないかな、澪美? このままじゃ、着替えできないんだけど……」
澪美「んー……もう少しねー。あねぇは今日も可愛いから、ぎゅーってしたくなるのだ!」
梨穂(嫌われるよりはマシ……だろうけど、ここまでくるといろいろと心配になってくる。これがシスコン、ってやつなのかなぁ。澪美、私が一人暮らしを始めるから出ていくって言ったら、一体どうするんだろう……。)
なんていう悶々とした思いを抱きつつ、髪をくしで整える。
その時、おそらく階段下から言われているであろうお母さんの言葉が飛んできた。
梨穂母「澪美ー、学校から参観日の用紙朝出すって言ってたわよねー。さっさと出してちょうだいー!」
澪美「あっ、忘れてたっ。あねぇ、澪美行ってくる!」
梨穂「あぁ、うん……私も支度終わったら、すぐ降りるから。」
バタバタと急いだように一階へ降りて行った澪美を見送ってから、梨穂は学校準備に取り掛かった。
制服をクローゼットから取り出し、姿見の前で着替える。
その最中、梨穂は昨日の出来事を思い出して大きく息を吐いた。
梨穂「はぁ……どうすればいいんだろ、今日から。」
梨穂(私の自由な時間がないって事は、登下校はもちろんお昼休憩も藍生君に監視されるんだよね……。私の心臓、もつんだろうか……。)
藍生『その話、しないでくれる? 言いたくない。』
昨日のそんな、影を落とした藍生の言葉が不意にフラッシュバックする。
梨穂(藍生君のいろんな顔を短時間で見たけど、あんなに苦しそうな顔するなんて……何が、あったんだろう。)
決めつけるのはよくないと分かっていても、どうしてもそっちの方向に考えてしまう。
制服のリボンを結んだ時に梨穂は、きゅっと唇を引き結んだ。
梨穂(藍生君は自分のことを話したくないらしいから、言及するのはやめたほうがいい。他人のプライバシーはちゃんと、守っていかなきゃいけない。)
それを分かっているからこそ、梨穂は影を落とす。
梨穂(……あんまり考えこんでもダメだ、うん。)
けれどすぐに自分に喝を入れ、梨穂は一階へと降りた。
○梨穂家リビング
朝食や洗顔などを済ませた梨穂は、まだ重たい瞼を擦りながらリビングに戻る。
その時、母にこんな事を言われた。
梨穂母「あ、梨穂っ。さっき梨穂を迎えに来たって言った男の子が来たんだけど……梨穂の友達?」
梨穂(えっ……その男の子って、まさか……。)
心当たりがある梨穂は、冷や汗が流れるのを感じながらぎこちなく首を縦に振る。
するとどこからか澪美が興味津々といったように目を輝かせ、梨穂に飛びついてきた。
澪美「あねぇっ、男の子の友達居たのっ!? どんな子どんな子っ?」
梨穂「……や、優しい人、だよ。」
澪美「うっそ、羨まし~! ねぇね、その男の子に会わせてあねぇ! 澪美、その子に言いたい事あるの!」
梨穂「それ……今なの?」
澪美「え? もっちろん! 澪美すぐに実行しなきゃ、ダメなタイプだからね~。」
だからお願い!と補足してくる澪美に、梨穂はしばし悩む。
梨穂(うーん……藍生君と澪美は会わせてもいいのか……。私も藍生君の性格を把握しているわけじゃないから、何とも言えないんだよなぁ……。)
困ってしまうも、藍生が来ているという事は外で待っているんじゃないかと気付く。
瞬時に梨穂はそれを理解して、苦い顔をしながらも了承した。
梨穂「分かった、いいよ。どうせ澪美もそろそろ登校でしょ? なら一緒に出よう?」
梨穂(藍生君を待たせすぎたら後が怖いし……仕方ない、澪美のお願いを聞こう。)
藍生の恐ろしさに内心怯えながら、乾いた笑みを貼り付ける。
澪美「やったっ! やっぱりあねぇやっさしー! あねぇ大好きー!」
梨穂「……暑いから離れよ、ね?」
またもや抱き着いてくる澪美に、梨穂は呆れたように息を吐く。
梨穂(今日から私、まともに生きていけるんだろうか。)
でも梨穂の頭の中は、そんな不安ばかりだった。
○梨穂家前
「行ってきまーす。」と梨穂と澪美の二人分の声が聞こえ、扉がゆっくり閉まる。
それと同時に梨穂は視界に藍生を捉えた。
藍生も梨穂が出てきたことに気付いて、一瞬瞳を鋭く光らせる。
だが澪美が居る事に気付いたのか、すぐに優等生バージョンに戻った。
梨穂「あ、藍生君、おはよう……。」
藍生「おはよう、三住さん。……そっちの彼女は?」
梨穂「こ、この子は私の妹で……えっと、藍生君に会いたいって言ってて……」
藍生に承諾を取ろうと言葉を口にしようとすると、それに被せるように澪美が不思議そうな声を上げた。
澪美「……あなた、もしかして華僑藍生?」
梨穂「な、何で澪美が知って……?」
ぎょっと驚いて、隣で目を見開く梨穂。
けど澪美はさも当たり前と言うように平然と言った。
澪美「だってこの人有名だよ? いっつも全国模試で上位に食い込んでるらしいし、相当頭が切れるって。ま、塾での話だからあねぇは知らなくていーの。」
梨穂「あぁ、そういう事……。」
塾に通っている澪美にはそういう情報が入ってきやすいらしく、梨穂も納得する。
梨穂(確かに藍生君頭いいし、毎回テストで一位とってるもんなぁ。澪美が知ってるのも、そう考えればおかしくないや。)
梨穂がうんうんと一人頷いている時、澪美は静かに瞳に鋭さを宿らせる。
その先は……藍生だった。
藍生はそれに気付き、ニコッと微笑んでみせた。
藍生(あー……そういうやつ、か。)
澪美の視線の意味を、なんとなく悟りながら。
藍生「そろそろ学校行こうか、三住さん。」
梨穂「……そう、だね。じゃあ澪美、行ってきますっ。」
澪美「うんっ。あねぇ、気を付けて……ね。」
澪美はどこか意味を含んだような声で手を振り、梨穂を見送る。
梨穂(あれ? 澪美がなんだか様子が変な気がする……。)
梨穂は澪美がどことなくおかしい事に気付きながらも、手を振り返した。
梨穂(多分、気のせいだよね。)
○通学路
梨穂は眼鏡なしの藍生と距離を取りながら、ぎこちなく足を動かす。
藍生はそれに気付いたらしく、ふっと笑った。
藍生「何、そんなに俺のこと怖いの?」
梨穂「うぇ……? な、何でそう思うの……?」
藍生「だって、あまりにも怯えてそうだから。そんな怖がらなくても、何もしないのに。」
梨穂(その言葉……いまいち信じきれない……。)
だけど口に出せるはずもなく、あははと苦笑いを零す梨穂。
それを見た藍生は意味ありげに少し目を細めた後、鬱陶しそうに眼鏡をつけ直した。
梨穂(そんなに眼鏡つけるの、嫌なのかな?)
藍生の苦い顔から、梨穂は直感でそう思う。
けどむやみに口を出すのはよくないと学んだから、梨穂は何も言わないまま引き続き歩いていた。
○学校
昇降口に入り、梨穂は靴箱の前で靴を履き替える。
だけどその時に自分の上履きの上に、一つの紙切れがある事に気付いた。
梨穂(何だろ、これ……。)
片手に収まるほどの大きさに畳まれているその紙切れを、不思議に思いながら手に取る。
音羽「あっ、梨穂おはよ~!」
でも突如に聞こえてきた音羽の声に、反射的にそれをポケットに突っ込む。
それと同時に音羽がこっちに駆け寄ってくる様子が見え、梨穂も笑顔を向けた。
梨穂「音羽ちゃんおはようっ!」
音羽「相変わらず梨穂は可愛いなぁ~。ふふ、あたしの癒しだわ梨穂は。」
梨穂の両手を握りながら、うっとりした表情で呟く音羽。
梨穂(うーん、可愛いとか癒しとか、よく分かんない。)
だが梨穂はその意味を分かっておらず、頭にはてなを浮かばせる。
その時、藍生が苦笑いを浮かべながら梨穂たちのほうに近付いてきた。
藍生「西日さん、おはよう……って、ふふ、西日さんは本当に三住さんのことが好きなんだね。」
音羽「そりゃあね。だから、華僑君に昨日『梨穂と一緒に登下校したい』って言われた時、すっごく悩んだんだよ。」
藍生「それでも許してくれた理由は?」
音羽「華僑君なら大丈夫でしょって判断したから、かな? 梨穂は男友達居ないから、華僑君が仲良くしてくれるっていうならあたしも嬉しいし。」
梨穂(音羽ちゃん……藍生君は大丈夫じゃないよ……。藍生君、すっごく怖いんだよ……。)
完全に藍生を信用しきっている音羽に、梨穂は恨めしい気持ちでそう思う。
けど口を滑らせる事なんてできるはずない為、大人しく二人の会話を流し聞いていた。
音羽「んじゃ、今からはあたしが梨穂と一緒に居るから! それくらい許してね、華僑君。」
藍生「うん、それくらいは全然。時間を譲ってもらったのはこっちだし、登下校とお昼以外なら。」
音羽「……なーんか意味ありそ。ま、いいけどね。」
その直後話が終わったのか、音羽は梨穂にもう一度抱き着いてそう言う。
梨穂だけは何も分かっておらず、頭にはてなを浮かばせる。
そんな梨穂を音羽は微笑ましく見てから、梨穂の腕を掴んで教室へと連れて行った。
音羽「梨穂教室行こっ!」
梨穂「う、うんっ!」
足がもつれそうになってしまった梨穂だけど、なんとか体制を立て直して返事をする。
藍生「それじゃあ三住さん、また後で。」
梨穂「……わ、分かったっ。」
だけど直後に聞こえてきたそんな言葉に、梨穂は一瞬振り返る。
するとうっすら笑みを浮かべた藍生と目が合って、梨穂は咄嗟に愛想笑いを浮かべた。
梨穂(うー……藍生君、やっぱり怖さが否めないなぁ……。)
音羽「にしても、いつのまになーんで華僑君と登下校するくらいになったの? 今まで接点らしい接点なかったじゃん?」
梨穂「え、えーっと……そ、それはですね……」
梨穂(な、なんて答えるのがベストなのこれ……!)
本当の事を言うわけにもいかない梨穂は、あまり働いていない頭で案を絞り出す。
そして咄嗟に、冷や汗が流れるのを感じながらこんな言い訳を言った。
梨穂「そ、そう! あお……華僑君がこの前転んじゃってね、それで偶然、それを見ちゃったからそこから仲良くなった……って感じ?」
音羽「え、そんな事あるの?」
梨穂「あるある! そういう事だから、ね?」
音羽「……ま、梨穂がそういうって事はそうなんだろうね。分かった、そんな事があったんだね。」
梨穂(本当はもっと怖い状況で、私は今脅されてるんだけど……。)
音羽の同情を含んだ視線を浴び、梨穂の表情は引きつっていく。
梨穂(このまま、何もなければいいんだけどなぁ……無理な話だとは分かっているけど。)
梨穂はどこか悟ったように、諦めかけの思いを心の中で呟いた。
○学校・屋上(昼)
梨穂(……これは一体、どういう状況なのでしょうか。)
梨穂は今、藍生の目の前に正座をさせられている。
一方藍生はと言うと……ベンチに足を組んで、梨穂を冷たい目で見下ろしていた。
眼鏡を外し、ネクタイを緩めた不良モードの藍生。
そしてゆっくりと、薄い唇を開いた。
藍生「梨穂、俺は今怒ってんの。どうして怒ってるか、分かる?」
梨穂「……わ、分かりません。」
藍生「そうだよねー、梨穂は馬鹿だから分かんないよね。自分がした失態、覚えてるよね?」
梨穂「し、失態……ですか?」
藍生「うん。梨穂さ、今日の朝西日さんに俺との関係のきっかけ何て言った?」
梨穂「……藍生君が転んだ、と言いました……。」
藍生「あー、なんだ覚えてたんだ。俺ね、ホームルームが始まる前に西日さんに憐みの目を向けられたんだよ。だったら制裁、下しても良いわけだ。」
梨穂(ひぇ……制裁とは……。)
自分が何気なく発した言葉がこんな事になると思わなかった梨穂は、ただ藍生の言葉を待つしかない。
そして、そんな梨穂に届いた一言。
藍生「この時間だけ俺のこと、“ご主人様”って呼んでよ。それくらい、奴隷ならしてくれるよね?」
梨穂「……それ、しなきゃダメ?」
藍生「何言ってんの、当たり前でしょ? 主人を怒らせたんだから、俺の言いなりになる義務があるはずだよ。」
梨穂(う……そう言われたら、何も言えない……。)
無意識に拳を作った梨穂は、少しは抵抗したものの泣く泣く言いくるめられる。
これ以上逆らえば、ボコボコにされるかもしれない。
そう思い、梨穂は少し恥じらいながらも口にした。
梨穂「ご、ご主人様っ……?」
藍生「……ふっ、そそるねその顔。」
梨穂「はへっ……? ……ひゃっ……。」
いきなり藍生に頬を撫でられた梨穂は、反射的に変な声を上げてしまう。
だがそれはすぐに終わり、今度はもちーっと頬を両手で引っ張られてしまった。
梨穂「あ、藍生く……いひゃいよ。」
藍生「変な顔。やっぱ面白いね、梨穂は。ていうか、ご主人様でしょ。」
梨穂「褒められてる気がしないよ……ごしゅじんひゃま。」
藍生「だって褒めてないし。」
梨穂(……そろそろ抵抗するだけ虚しくなってきたよ、私。)
藍生に好き勝手されるがまま、心の中でそう思った梨穂。
その時に藍生の瞳の奥が鋭くなったのを、梨穂は知らない。
その翌日、梨穂は規則的なアラーム音で目を覚ました。
手を伸ばしアラームを止め、体を起こしながらうーんと腕を伸ばす。
それと同時にバンッ!と、梨穂の部屋の扉が開いた。
澪美「あねぇっ、おっはよー!」
梨穂「……澪美、朝から元気だね……おはよう。」
澪美「ふふんっ、澪美はあねぇを守らなきゃいけねーんで元気なのだ!」
梨穂「その言葉遣い、一体どこから学んだの……。」
梨穂は半ば困りながら、ベッドを降りて身だしなみを整え始める。
髪のセットをしている時にも、梨穂の妹である中二である澪美は梨穂に抱き着いていた。
梨穂「……そろそろ離れてくれないかな、澪美? このままじゃ、着替えできないんだけど……」
澪美「んー……もう少しねー。あねぇは今日も可愛いから、ぎゅーってしたくなるのだ!」
梨穂(嫌われるよりはマシ……だろうけど、ここまでくるといろいろと心配になってくる。これがシスコン、ってやつなのかなぁ。澪美、私が一人暮らしを始めるから出ていくって言ったら、一体どうするんだろう……。)
なんていう悶々とした思いを抱きつつ、髪をくしで整える。
その時、おそらく階段下から言われているであろうお母さんの言葉が飛んできた。
梨穂母「澪美ー、学校から参観日の用紙朝出すって言ってたわよねー。さっさと出してちょうだいー!」
澪美「あっ、忘れてたっ。あねぇ、澪美行ってくる!」
梨穂「あぁ、うん……私も支度終わったら、すぐ降りるから。」
バタバタと急いだように一階へ降りて行った澪美を見送ってから、梨穂は学校準備に取り掛かった。
制服をクローゼットから取り出し、姿見の前で着替える。
その最中、梨穂は昨日の出来事を思い出して大きく息を吐いた。
梨穂「はぁ……どうすればいいんだろ、今日から。」
梨穂(私の自由な時間がないって事は、登下校はもちろんお昼休憩も藍生君に監視されるんだよね……。私の心臓、もつんだろうか……。)
藍生『その話、しないでくれる? 言いたくない。』
昨日のそんな、影を落とした藍生の言葉が不意にフラッシュバックする。
梨穂(藍生君のいろんな顔を短時間で見たけど、あんなに苦しそうな顔するなんて……何が、あったんだろう。)
決めつけるのはよくないと分かっていても、どうしてもそっちの方向に考えてしまう。
制服のリボンを結んだ時に梨穂は、きゅっと唇を引き結んだ。
梨穂(藍生君は自分のことを話したくないらしいから、言及するのはやめたほうがいい。他人のプライバシーはちゃんと、守っていかなきゃいけない。)
それを分かっているからこそ、梨穂は影を落とす。
梨穂(……あんまり考えこんでもダメだ、うん。)
けれどすぐに自分に喝を入れ、梨穂は一階へと降りた。
○梨穂家リビング
朝食や洗顔などを済ませた梨穂は、まだ重たい瞼を擦りながらリビングに戻る。
その時、母にこんな事を言われた。
梨穂母「あ、梨穂っ。さっき梨穂を迎えに来たって言った男の子が来たんだけど……梨穂の友達?」
梨穂(えっ……その男の子って、まさか……。)
心当たりがある梨穂は、冷や汗が流れるのを感じながらぎこちなく首を縦に振る。
するとどこからか澪美が興味津々といったように目を輝かせ、梨穂に飛びついてきた。
澪美「あねぇっ、男の子の友達居たのっ!? どんな子どんな子っ?」
梨穂「……や、優しい人、だよ。」
澪美「うっそ、羨まし~! ねぇね、その男の子に会わせてあねぇ! 澪美、その子に言いたい事あるの!」
梨穂「それ……今なの?」
澪美「え? もっちろん! 澪美すぐに実行しなきゃ、ダメなタイプだからね~。」
だからお願い!と補足してくる澪美に、梨穂はしばし悩む。
梨穂(うーん……藍生君と澪美は会わせてもいいのか……。私も藍生君の性格を把握しているわけじゃないから、何とも言えないんだよなぁ……。)
困ってしまうも、藍生が来ているという事は外で待っているんじゃないかと気付く。
瞬時に梨穂はそれを理解して、苦い顔をしながらも了承した。
梨穂「分かった、いいよ。どうせ澪美もそろそろ登校でしょ? なら一緒に出よう?」
梨穂(藍生君を待たせすぎたら後が怖いし……仕方ない、澪美のお願いを聞こう。)
藍生の恐ろしさに内心怯えながら、乾いた笑みを貼り付ける。
澪美「やったっ! やっぱりあねぇやっさしー! あねぇ大好きー!」
梨穂「……暑いから離れよ、ね?」
またもや抱き着いてくる澪美に、梨穂は呆れたように息を吐く。
梨穂(今日から私、まともに生きていけるんだろうか。)
でも梨穂の頭の中は、そんな不安ばかりだった。
○梨穂家前
「行ってきまーす。」と梨穂と澪美の二人分の声が聞こえ、扉がゆっくり閉まる。
それと同時に梨穂は視界に藍生を捉えた。
藍生も梨穂が出てきたことに気付いて、一瞬瞳を鋭く光らせる。
だが澪美が居る事に気付いたのか、すぐに優等生バージョンに戻った。
梨穂「あ、藍生君、おはよう……。」
藍生「おはよう、三住さん。……そっちの彼女は?」
梨穂「こ、この子は私の妹で……えっと、藍生君に会いたいって言ってて……」
藍生に承諾を取ろうと言葉を口にしようとすると、それに被せるように澪美が不思議そうな声を上げた。
澪美「……あなた、もしかして華僑藍生?」
梨穂「な、何で澪美が知って……?」
ぎょっと驚いて、隣で目を見開く梨穂。
けど澪美はさも当たり前と言うように平然と言った。
澪美「だってこの人有名だよ? いっつも全国模試で上位に食い込んでるらしいし、相当頭が切れるって。ま、塾での話だからあねぇは知らなくていーの。」
梨穂「あぁ、そういう事……。」
塾に通っている澪美にはそういう情報が入ってきやすいらしく、梨穂も納得する。
梨穂(確かに藍生君頭いいし、毎回テストで一位とってるもんなぁ。澪美が知ってるのも、そう考えればおかしくないや。)
梨穂がうんうんと一人頷いている時、澪美は静かに瞳に鋭さを宿らせる。
その先は……藍生だった。
藍生はそれに気付き、ニコッと微笑んでみせた。
藍生(あー……そういうやつ、か。)
澪美の視線の意味を、なんとなく悟りながら。
藍生「そろそろ学校行こうか、三住さん。」
梨穂「……そう、だね。じゃあ澪美、行ってきますっ。」
澪美「うんっ。あねぇ、気を付けて……ね。」
澪美はどこか意味を含んだような声で手を振り、梨穂を見送る。
梨穂(あれ? 澪美がなんだか様子が変な気がする……。)
梨穂は澪美がどことなくおかしい事に気付きながらも、手を振り返した。
梨穂(多分、気のせいだよね。)
○通学路
梨穂は眼鏡なしの藍生と距離を取りながら、ぎこちなく足を動かす。
藍生はそれに気付いたらしく、ふっと笑った。
藍生「何、そんなに俺のこと怖いの?」
梨穂「うぇ……? な、何でそう思うの……?」
藍生「だって、あまりにも怯えてそうだから。そんな怖がらなくても、何もしないのに。」
梨穂(その言葉……いまいち信じきれない……。)
だけど口に出せるはずもなく、あははと苦笑いを零す梨穂。
それを見た藍生は意味ありげに少し目を細めた後、鬱陶しそうに眼鏡をつけ直した。
梨穂(そんなに眼鏡つけるの、嫌なのかな?)
藍生の苦い顔から、梨穂は直感でそう思う。
けどむやみに口を出すのはよくないと学んだから、梨穂は何も言わないまま引き続き歩いていた。
○学校
昇降口に入り、梨穂は靴箱の前で靴を履き替える。
だけどその時に自分の上履きの上に、一つの紙切れがある事に気付いた。
梨穂(何だろ、これ……。)
片手に収まるほどの大きさに畳まれているその紙切れを、不思議に思いながら手に取る。
音羽「あっ、梨穂おはよ~!」
でも突如に聞こえてきた音羽の声に、反射的にそれをポケットに突っ込む。
それと同時に音羽がこっちに駆け寄ってくる様子が見え、梨穂も笑顔を向けた。
梨穂「音羽ちゃんおはようっ!」
音羽「相変わらず梨穂は可愛いなぁ~。ふふ、あたしの癒しだわ梨穂は。」
梨穂の両手を握りながら、うっとりした表情で呟く音羽。
梨穂(うーん、可愛いとか癒しとか、よく分かんない。)
だが梨穂はその意味を分かっておらず、頭にはてなを浮かばせる。
その時、藍生が苦笑いを浮かべながら梨穂たちのほうに近付いてきた。
藍生「西日さん、おはよう……って、ふふ、西日さんは本当に三住さんのことが好きなんだね。」
音羽「そりゃあね。だから、華僑君に昨日『梨穂と一緒に登下校したい』って言われた時、すっごく悩んだんだよ。」
藍生「それでも許してくれた理由は?」
音羽「華僑君なら大丈夫でしょって判断したから、かな? 梨穂は男友達居ないから、華僑君が仲良くしてくれるっていうならあたしも嬉しいし。」
梨穂(音羽ちゃん……藍生君は大丈夫じゃないよ……。藍生君、すっごく怖いんだよ……。)
完全に藍生を信用しきっている音羽に、梨穂は恨めしい気持ちでそう思う。
けど口を滑らせる事なんてできるはずない為、大人しく二人の会話を流し聞いていた。
音羽「んじゃ、今からはあたしが梨穂と一緒に居るから! それくらい許してね、華僑君。」
藍生「うん、それくらいは全然。時間を譲ってもらったのはこっちだし、登下校とお昼以外なら。」
音羽「……なーんか意味ありそ。ま、いいけどね。」
その直後話が終わったのか、音羽は梨穂にもう一度抱き着いてそう言う。
梨穂だけは何も分かっておらず、頭にはてなを浮かばせる。
そんな梨穂を音羽は微笑ましく見てから、梨穂の腕を掴んで教室へと連れて行った。
音羽「梨穂教室行こっ!」
梨穂「う、うんっ!」
足がもつれそうになってしまった梨穂だけど、なんとか体制を立て直して返事をする。
藍生「それじゃあ三住さん、また後で。」
梨穂「……わ、分かったっ。」
だけど直後に聞こえてきたそんな言葉に、梨穂は一瞬振り返る。
するとうっすら笑みを浮かべた藍生と目が合って、梨穂は咄嗟に愛想笑いを浮かべた。
梨穂(うー……藍生君、やっぱり怖さが否めないなぁ……。)
音羽「にしても、いつのまになーんで華僑君と登下校するくらいになったの? 今まで接点らしい接点なかったじゃん?」
梨穂「え、えーっと……そ、それはですね……」
梨穂(な、なんて答えるのがベストなのこれ……!)
本当の事を言うわけにもいかない梨穂は、あまり働いていない頭で案を絞り出す。
そして咄嗟に、冷や汗が流れるのを感じながらこんな言い訳を言った。
梨穂「そ、そう! あお……華僑君がこの前転んじゃってね、それで偶然、それを見ちゃったからそこから仲良くなった……って感じ?」
音羽「え、そんな事あるの?」
梨穂「あるある! そういう事だから、ね?」
音羽「……ま、梨穂がそういうって事はそうなんだろうね。分かった、そんな事があったんだね。」
梨穂(本当はもっと怖い状況で、私は今脅されてるんだけど……。)
音羽の同情を含んだ視線を浴び、梨穂の表情は引きつっていく。
梨穂(このまま、何もなければいいんだけどなぁ……無理な話だとは分かっているけど。)
梨穂はどこか悟ったように、諦めかけの思いを心の中で呟いた。
○学校・屋上(昼)
梨穂(……これは一体、どういう状況なのでしょうか。)
梨穂は今、藍生の目の前に正座をさせられている。
一方藍生はと言うと……ベンチに足を組んで、梨穂を冷たい目で見下ろしていた。
眼鏡を外し、ネクタイを緩めた不良モードの藍生。
そしてゆっくりと、薄い唇を開いた。
藍生「梨穂、俺は今怒ってんの。どうして怒ってるか、分かる?」
梨穂「……わ、分かりません。」
藍生「そうだよねー、梨穂は馬鹿だから分かんないよね。自分がした失態、覚えてるよね?」
梨穂「し、失態……ですか?」
藍生「うん。梨穂さ、今日の朝西日さんに俺との関係のきっかけ何て言った?」
梨穂「……藍生君が転んだ、と言いました……。」
藍生「あー、なんだ覚えてたんだ。俺ね、ホームルームが始まる前に西日さんに憐みの目を向けられたんだよ。だったら制裁、下しても良いわけだ。」
梨穂(ひぇ……制裁とは……。)
自分が何気なく発した言葉がこんな事になると思わなかった梨穂は、ただ藍生の言葉を待つしかない。
そして、そんな梨穂に届いた一言。
藍生「この時間だけ俺のこと、“ご主人様”って呼んでよ。それくらい、奴隷ならしてくれるよね?」
梨穂「……それ、しなきゃダメ?」
藍生「何言ってんの、当たり前でしょ? 主人を怒らせたんだから、俺の言いなりになる義務があるはずだよ。」
梨穂(う……そう言われたら、何も言えない……。)
無意識に拳を作った梨穂は、少しは抵抗したものの泣く泣く言いくるめられる。
これ以上逆らえば、ボコボコにされるかもしれない。
そう思い、梨穂は少し恥じらいながらも口にした。
梨穂「ご、ご主人様っ……?」
藍生「……ふっ、そそるねその顔。」
梨穂「はへっ……? ……ひゃっ……。」
いきなり藍生に頬を撫でられた梨穂は、反射的に変な声を上げてしまう。
だがそれはすぐに終わり、今度はもちーっと頬を両手で引っ張られてしまった。
梨穂「あ、藍生く……いひゃいよ。」
藍生「変な顔。やっぱ面白いね、梨穂は。ていうか、ご主人様でしょ。」
梨穂「褒められてる気がしないよ……ごしゅじんひゃま。」
藍生「だって褒めてないし。」
梨穂(……そろそろ抵抗するだけ虚しくなってきたよ、私。)
藍生に好き勝手されるがまま、心の中でそう思った梨穂。
その時に藍生の瞳の奥が鋭くなったのを、梨穂は知らない。