ドアの外から、物音が聞こえた。


「なに? なんなの?」


 私はフォークの柄にしがみつく。


扉が激しくガタガタと揺らされている。


誰かが入ってくる? 


もし何かされそうになったら、干し草用のフォークを振り回して……。


「アデル!」


「ノア!」


 伸ばされた腕にしがみつく。


彼にしっかりと抱き留められた。


背に回された腕が、壊れそうなほど私を抱きしめる。


「アデル……アデル……」


 耳元でささやく声が、私以上に震えている。


「大丈夫? 怪我は?」


「ないわ。ノア、ノア!」


「どうした?」


「ノア、エミリーが、エミリーが!」


「エミリーは大丈夫だ。先に助けた」


 ノアに連れられ、納屋の外に出る。


そこに彼女は立っていた。


「エミリー!」


「アデル」


 私たちは、しっかりと抱き合う。


「エミリー、無事だったのね」


「ごめんなさい。ごめんなさい、アデル。私のせいで……」


 その前で、私を閉じ込めたトレスとデュレー公爵がひざまずいた。


「こ、このたびは大変な間違いを……。どうか、お許しください」


「デュレー公爵」


 ノアは怒りに震える声を、懸命に抑えながら言った。


「今夜は早々にお引き取りいただきたい。じゃないと僕は、今ここで何を口走ってしまうか分からない」


「……。かしこまりました。今宵はこのまま、失礼いたします」


 執事と並んで、公爵の姿が館の陰に消えた。


「アデル」


 ノアはもう一度、私を抱きしめる。


「本当に大丈夫なのか? 何もされてない? 怖いことはなにも?」


「えぇ、大丈夫よ、ノア。ありがとう」


 流れる涙を、ノアの手が拭った。


「驚いただろ。部屋へ戻って、少し休もう」


 侍女たちに付き添われ、服を着替える。


お湯を使い、体を洗い流した。


食事に呼ばれたものの、何も食べられる気がしない。


丁寧に断りを入れ、客室のドアを閉めた。


真っ暗なままの部屋で一人になり、恐怖が蘇る。


デュレー公爵の執事に握られた腕を、ぎゅっと掴んだ。


目を閉じる。


 怖かったのは、掴まれたことでも、引きずられたことでもない。


自分がこんなにも無力なんだと、思い知らされたこと。


声を上げても、誰にも届かないんだということが、何よりも恐ろしかった。


あの時も同じ。


決して助けが来ないこと。


誰も私を、気にかけてくれる人がいないこと……。


「アデル? 入っていい?」


 ノックと共に、ノアの声が聞こえた。


私はその扉を見つめる。


その向こうにいる人は、あの時と同じ人だ。


「うん。いいよ……」


 ゆっくりと扉は開き、それはすぐに閉じられる。


「そっちへ行っても?」


 私はベッドに腰掛けていて、横になろうとしていたところだった。


月明かりが窓から漏れるその部屋は、とても静かだった。


「うん。いいよ」


 ノアは座り直した私から、少し離れた位置に腰を下ろす。


「なんか、久しぶりだね。アデルとちゃんと話すの」


「そうかな。昨日だって……」


 言いかけて、口をつぐむ。


村祭りのことは、今は話したくない。


今が夜で、暗くてよかった。


顔が赤くなってるのが、バレずにすむから。


「昨日は、まともに話せなかったじゃないか。その前は、なんか知らないけど、全然しゃべってくれなかったし」


 ノアの横顔をチラリと見る。


私はベッドにごろりと横になった。


夜の闇に冷たいシーツが広がる。


ノアもすぐ隣に寝転がった。


「ね、覚えてる? 前にもこんなこと、あったよね」


 ノアの手は、私の指先にそっと触れた。