誰でもそうだし、私のことを知っている人はもちろん知ってるし、私は小学校に通っていた。それは私の過去であり、そこから現在までの時系列による同一性がある。つまり小学校に通っていなければ、自分と同一物ではない。
それに人にあったら、みんなと同じように小学校通っていたんだ、というのが当たり前の認識だろう。むしろ小学校も出てないなんて言う人はいない。小学校も出てない、というより、みんなと同じように小学校通っていたんだというほうが受け入れられる考え方であろう。
無論、自分をよく知っている人、クラスメイト、友人、家族、親戚などはこのことを知っている。であるからして、友達でも何でもないやつに「小学校も出てない」などと言われる筋合いはない。
近くの小学校が小さいため、隣町の小学校まで歩いて通った。子供の足で2,30分ぐらいだったと思う。朝6時に自衛官の父と起きた。
7時に班で登校した。
あるとき、がりがりに痩せた犬が通学路に出没するようになった。私は自衛隊の官舎に住んでいた。別の官舎の棟に幼稚園のときからの友達のO君という男の子がいた。
当時「ビリ犬」というアニメがはやっていた。藤子不二雄エAさんによる漫画作品である。
その中にガリ犬というキャラクターがあった。O君はがりがりの野良犬をガリ犬と名付けた。
ガリ犬は、学校にもやってきた。ある日、ガリ犬はいなくなった。役所にでもひきとられたのだろうか?僕は、ノートにガリ犬をモデルにした小説を書いた。「吾輩は犬である」である。これはノートに書いたのだから、自分が読むだけだった。だからただ書いただけのつまらない小説だ。おそらく自分しか読んだことがない。よって他人が読むものではない。
これは何でもないことだ。
創作―それまでになかったものをつくること。
独創的作品をつくりだすこと。
それに人にあったら、みんなと同じように小学校通っていたんだ、というのが当たり前の認識だろう。むしろ小学校も出てないなんて言う人はいない。小学校も出てない、というより、みんなと同じように小学校通っていたんだというほうが受け入れられる考え方であろう。
無論、自分をよく知っている人、クラスメイト、友人、家族、親戚などはこのことを知っている。であるからして、友達でも何でもないやつに「小学校も出てない」などと言われる筋合いはない。
近くの小学校が小さいため、隣町の小学校まで歩いて通った。子供の足で2,30分ぐらいだったと思う。朝6時に自衛官の父と起きた。
7時に班で登校した。
あるとき、がりがりに痩せた犬が通学路に出没するようになった。私は自衛隊の官舎に住んでいた。別の官舎の棟に幼稚園のときからの友達のO君という男の子がいた。
当時「ビリ犬」というアニメがはやっていた。藤子不二雄エAさんによる漫画作品である。
その中にガリ犬というキャラクターがあった。O君はがりがりの野良犬をガリ犬と名付けた。
ガリ犬は、学校にもやってきた。ある日、ガリ犬はいなくなった。役所にでもひきとられたのだろうか?僕は、ノートにガリ犬をモデルにした小説を書いた。「吾輩は犬である」である。これはノートに書いたのだから、自分が読むだけだった。だからただ書いただけのつまらない小説だ。おそらく自分しか読んだことがない。よって他人が読むものではない。
これは何でもないことだ。
創作―それまでになかったものをつくること。
独創的作品をつくりだすこと。


