「良かったんですか? 怖い目にあったのに」
「いいんです。こんな時間に出歩いている私も悪いんです、いや、絡んでくる人も悪いんですけど……でも親切心からの声かけだとしたら失礼な事をしてしまったかしら……」
 あとを付けられて怖かったけれど、本当に心配してくれての事だったら申し訳ない。
 エバは男達が消えた薄闇の先を見つめ続けている。
「それに、私、トランクであの人達の誰かを殴ってしまいました……どうしましょう」
「大丈夫ですよ、殴られたのは俺です」
「……えっ」
「俺がトランクで思い切り殴られるのを見て、あいつら声を出して引いてました」
 あっははと笑うアンドレアを前に、エバは冷汗が止まらなくなった。
(アンドレア様を、殴ってしまったぁぁ)
 作りがしっかりとした革のトランク。角は硬く、これで殴られたら相当痛いだろう。
「アンドレア様! ごめんなさい!」
 エバはもう恥も外聞もかなぐり捨てて、謝罪を叫びながら頭を下げた。
「助けて頂いたのに、本当にごめんなさい……!」
 すかさずアンドレアは、エバの肩をそっと優しく触れた。
「頭を上げてください、俺にそんな事をしなくてもいいんですよ」
 困ったような声に、エバは思わず頭を上げてしまった。
「でも……!」
「それより、です」
「それより?」
 アンドレアは、エバを頭のてっぺんからつま先までじっくりと見ている。
 エバは不思議に思ったが、あっと気付いた。
「エバ様……」
「あのですね、何と言うか……」
 簡素なドレスに動きやすい編み上げのブーツ。トランク片手に、となれば完全に旅姿だ。
 しかも侍女も連れずに、馬車でもない。
 家出、としか言いようがない。
 アンドレアに知られ、このまま保護されてしまったら、屋敷に逆戻りだ。
 どうしよう、どう切り抜ければ……!
「……ああ、そうか。エバ様は夜の散歩の途中だったんですね」
「え?」
 想像していた展開の、斜め上をアンドレアがいく。
「俺も、これから故郷の者の結婚式なんですよ」
「これから、ですか?」
だからアンドレアは正服だったのか。
 いや、これから夜が更に深まる時間に、結婚式?
 それでも色々と疑問は多いが、自分のこの姿から話題がそれるチャンスだと思った。
「それはおめでたいですね」
「そうなんです。だから故郷から、沢山の者が集まってきていて……」
 アンドレアはエバが風に当たらないように自分が風除けになりながら、雲がぐんぐん川の水のように流れていく空を見上げた。
「良い夜です。エバ様も是非一緒に祝いに行きましょう」
 ──乗り合い馬車は、朝にならないと出ないですから。
 アンドレアの言葉に、エバは焦り思わず生唾を飲んでしまった。