「いらっしゃいませ」

にこやかに笑って、カウンターの前に来た男性にもう一度頭を下げる。

そしてゆっくりと顔を上げたさくらは、顔に笑顔を貼りつけたまま固まった。

(この人…?)

「神代不動産の神代と申します」

(…ですよね?)

「こちらの不動産事業部にいらっしゃる栗林さんと、15時にお約束を取らせて頂いています」
「あ!神代社長でいらっしゃいますか?わたくしが栗林です。お待ちしておりました」

栗林が丁寧にお辞儀をしながら、名刺を取り出す。

さくらは、二人の名刺交換の様子を、ボーッと眺めていた。

「お目にかかれて大変光栄です」
「いえ、とんでもない。こちらこそ、お時間を作って頂いて恐縮です」
「いやー、わたくし勝手に、もっとご年配の方がいらっしゃるのかと思っておりました。こんなにもお若くてかっこいい方が社長だとは…」
「お世辞だとは分かっておりますが、ありがとうございます」
「いえいえ、本音ですよ。さあ、ではご案内しますね。こちらへ」

さくらは、慌ててお辞儀をして二人を見送った。

二人がエレベーターに乗り込んでからも、首をひねりながら瞬きをくり返す。

(あれ?私、今東京にいるよね?え、起きてる?ちゃんと意識あるよね?)

来客の対応に追われながらも、頭の片隅の疑問が消えない。

そうこうしているうちに、定時の18時が近づいてきた。

もうこの時間から来る人はいない。

さくらは、カウンターの上で業務日報を打ち込み始める。

すると、エレベーターが開いて栗林の上機嫌な声が聞こえてきた。

「いやー、本日は誠にありがとうございました。ぜひ今後ともよろしくお願い致します」
「こちらこそ、どうぞよろしくお願い致します」
「社長、今日は東京にお泊りですか?」
「はい。東京に来るのは、かれこれ5年ぶりでして。田舎者としては、人の多さにオロオロするばかりですよ」
「5年ぶりですか。それなら色々変わっていますでしょう?あ、もしよろしければ、夕食ご一緒しませんか?まだまだお話したいことがありまして」
「そうですね。ご迷惑でなければ、ぜひ」
「迷惑だなんて、とんでもない。美味しいお店にお連れしますよ。あ、高山さんも同席お願いできるかな?」
「…はい?」

ちょうど受付カウンターの前を通り過ぎながら、ふいに声をかけてきた栗林に、さくらは声が裏返ってしまう。

「あ、あ、あの、わたくしが、なぜ?」
「君も来てくれると助かるよ。神代社長、彼女も一緒でもよろしいですか?」
「もちろんです」
「良かった。では、そちらのソファで少々お待ち頂けますか?荷物を持ってすぐに参りますので」

そして栗林は、さくらを振り返る。

「さくらちゃんも、着替えたらここに来てくれる?じゃ、あとで」
「あ、あ、あの…」

そそくさと去って行く栗林の背中に、さくらはむなしく手を伸ばした。